back top next
「悲愴」を聴く7・・・戦前派巨匠の演奏5 アーベントロートとクーゼヴィツキー
「ヘルマン・アーベントロート(1883〜1956)」
フランクフルト生まれ、ミュンヘンでモットルに指揮を師事、ケルン・ギュルツニヒ管の常任指揮者の後、1934年からライプツィヒ・ゲヴァントハウス管の常任指揮者。
戦後は、ベルリン放送響(旧東ベルリン)、ライプティヒ放送響の常任指揮者といった具合で、活躍の場が旧東ドイツ圏に限定されていたので、あまり知られることがありませんでしたが、70年代初めに日本のレコードメーカーが売り出し、一躍注目の指揮者となりました。

・ライプツイヒ放送交響楽団
(1952年 1月28日 ライプツィヒ 放送用ライヴ)
ライプツィヒ放送局のライヴラリーのため、録音は極めて鮮明。
この演奏は、一部でアーベントロートの代表作のように褒め称える著名な音楽評論家がいて、かなり有名な演奏ではありますが、このユニークなテンポの揺れと、鳴り渡る大音響、極端までの感情移入などが、私にはどうも奇を衒った恣意的な解釈に聴こえ、あまり良い演奏とは思えませんでした。音の響きはドイツ的な重厚さを見せたもので、全体的に無骨で古武士的な古めかしい印象です。
情緒たっぷりに歌う第1楽章第2主題、展開部では、ホルンのシンコペーションに向かって次第にテンポを落としながらディミヌエンド、その後一転してテンポを上げクレシェンドといった具合で、どうもクサイ表現に終始しています。第3楽章のクライマックスでティンパニを強打させながら、テンポをガクンと落とす急ブレーキ、その後のコーダでの猛烈な加速など、どうも野暮ったく聴こえてしまいました。

「セルゲイ・クーゼヴィツキー(1874〜1951)」
モスクワ近郊のトヴェリ生まれ、父からヴァイオリンとチェロの手ほどきを受け、モスクワフィル付属音楽院ではコントラバスを専攻、その後ボリショイ劇場のコントラバス奏者となり、世界的な名手として有名になりました。その後指揮者に転向、ロシア革命後祖国を離れ、パリに居を移しました。その時期ラヴェルに「展覧会の絵」の編曲を委嘱しています。1924年からボストン交響楽団の音楽監督に就任、バーンスタインを育て、バルトークやメシアンらに作曲を委嘱し、多くの名作を世に出すのに大きな役割を果たしました。

・ボストン交響楽団
(1930年 4月14、16日 ボストン スタジオ録音)
著名な指揮者による「悲愴」の全曲録音としては、ワルターと並ぶ初期の録音。しかしSP期には、メンゲルベルク盤とフルトヴェングラー盤の人気に隠れ、評判はあまり芳しくありませんでした。今回はCDに復刻された録音を、国内盤CDとビダルフレーベルによるCDで聞き比べてみました。両方とも音源は同一です。SP復刻では定評のあるビダルフですが、聞いた印象ではピッチがいささか低く、ずいぶんと暗い印象でした。RCAによる国内盤は多少イコライジングをかけ高音を強調していますが、こちらの方が聞きやすい仕上がりでした。
演奏は荒削りながら、ロシア風の男性的な迫力に満ちた演奏です。第1楽章展開部アレグロ・ヴィヴォの最初の部分は、前のアンダンテのテンポをそのまま引きずったままで、強烈なフォルテシモでたたきつけます。そしてその後の170小節でのrit。これはメンゲルベルクも採用していた解釈でした。メンゲルベルクは、チャイコフスキーの弟のモデストからスコアを送られたこともある指揮者で、ロシアの他の古いタイプの指揮者も同じ解釈で演奏していたりします。
これは私の全くの想像ですが、このテンポ設定は、チャイコフスキー、もしくはチャイコフスキーと親しい仲であったロシアの代表的な指揮者ナウブラウニクから伝承された解釈ではないでしょうか。同じような部分は第3楽章の300小節目で突然テンポを落とす部分にも見られます。このクーゼヴィツキーの演奏は、あまり注目されていませんが、
初期ロシアの指揮者の解釈を知る上で、極めて興味深い演奏だと思います。

(2003.02.16)
back top next