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「エーリヒ・クライバー(1890〜1956)」 ウィーンに生まれ、プラハで哲学と歴史、音楽教育を受ける。1911年、プラハのドイツ歌劇場の合唱指揮者からキャリアを始め、ダルムシュタット、マンハイムなどの地方歌劇場を経て、1923〜33年、ベルリン国立歌劇場音楽総監督。 この間に、ベルリンフィルを率いるフルトヴェングラーと人気を二分しました。 1934年、ナチスと対立して国立歌劇場を辞任しドイツ出国。 1936〜49年、ブエノスアイレスのテアトロ・コロン歌劇場指揮者、古巣のベルリン国立歌劇場にもたびたび招かれ、1954年には同歌劇場監督に任命されたが、共産党政権と対立、政治上の理由で辞任した。その後各地のオーケストラに客演する日々を送り、チューリヒで客死。 クライバーは、ヨーロッパを中心に大きな尊敬を受けていた指揮者で、ベルリン国立歌劇場の音楽総監督時代は、ベルリンフィルを率いていたフルトヴェングラーと人気を二分していたほどの実力者でした。悲愴は二つの録音が残されました。 ・ パリ音楽院管弦楽団 (1953年 10月 パリ、メソン・ミュリアリテ スタジオ録音) 50年前の録音ですが、古めかしさを感させない現代的な名演。原典に忠実で時代を先取りした印象です。第1楽章など、テンポの変わり目での曲想の変化の妙が実に鮮やかで、この美点がそのまま息子のカルロス・クライバーに受け継がれました。 フランスの木管の軽くカラフルな響きも、かえって曲の構造を鮮やかに浮き上がらせています。ウィーン風の典雅な響きの中に、隠された不安感をうまく表現した第2楽章と、堂々とした風格を見せたダイナミックな第3楽章も良く、特に感傷を排し緊張感を最後まで持続させた入魂の第4楽章が実に壮麗な出来でした。 ・ケルン放送交響楽団 (1955年 3月28日 ケルン ライヴ録音) クライバーは、晩年ケルン放送響の演奏会にたびたび登場していて、当時の放送録音も いくつか残っています。これらはスタジオ録音と異なった、瞬間瞬間のインスピレーションに任せた演奏が多く、「新世界」のように聴いていてギョッとする驚きの解釈を見せたものがあります。 この「悲愴」もかなり個性的な演奏です。これほど絶望的な「悲愴」は他に例がないほど 暗い演奏。ただ多少ピッチが低いオケにも原因がありそうです。オケのアンサンブルはかなりお粗末、乾いた弦楽器の響きも興を削ぎ、第2楽章など少しも楽しめませんでした。 冒頭から極端に遅い第1楽章、展開部のホルンのシンコペーションなど、ほとんど止まりそうです。リズムが停滞し、オケが崩壊寸前の第3楽章、弦楽器のすすりなきのようなヴィヴラートを強調した第4楽章など、ほとんど浪花節の世界でした。スタジオ録音であれほど精度の高い演奏を聴かせた指揮者と、とても同一人物とは思えない演奏でした。
(2003.02.15)
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