back top next
「悲愴」を聴く31・・・ハンガリー系の指揮者たち3・・・オーマンディー
「ユージン・オーマンディー(1899〜1985)」
ブタペスト生まれ、ヴァイオリンの天才少年として知られ、17歳で王立音楽院教授。
22歳のときアメリカに演奏旅行に行くもマネージャーに騙され、無一文で路頭に迷う。やがて無声映画を上演していたキャピトル劇場のオーケストラに入団し、コンサートマスターの後指揮者も兼務。1931年にはトスカニーニの代役としてフィラデルフィア管を振って成功を収め、
 1931年〜1936年ミネアポリス響の常任指揮者
 1936年〜1938年フィラデルフィア管常任指揮者
 1938年〜1980年フィラデルフィア管音楽監督

オーマンディーの「悲愴」には、5つの録音があります。
 ?@1936,37年    RCA
 ?A1952年       コロンビア
 ?B1960年       コロンビア
 ?C1968年       RCA
 ?D1981年       デロス
特に?@は、フルトヴェングラーやトスカニーニよりも早い時期の全曲録音。
RCAがいわば安全牌ともいえるストコフスキーを起用せず、既にミネアポリス響とマーラーの「復活 」の世界初録音などの意欲的な活動をおこないつつあった新進気鋭のオーマンディーに録音させたのは、あらたなスター指揮者を模索していた証なのかもしれません。今回は?@?B?Cの演奏を聴いてみました。

・フィラデルフィア管弦楽団
(1936年12月13日 1937年 1月9日 スタジオ録音)
オーマンディーがストコフスキーとともにフィラデルフィア管弦楽団の指揮者に就任した1936年の録音。当時オーマンディーはトスカニーニに傾倒していたため、この演奏も
さながら小型トスカニーニのような演奏です。ストレートで直線的、オケの出来は文句なしですがトスカニーニのような強靭な意思の力はなく、特に目立った個性は感じられない平凡な出来だと思います。なお第1楽章最後のトロンボーンのコラールはミュートを使用しているような音でした。

・フィラデルフィア管弦楽団
(1960年 4月10日 フィラデルフィア・ブロードウッドホテル
                        スタジオ録音   )
大きな広がりを持ったオーケストラの響きの中に各声部を明快にして立体的に再現した
名演だと思います。第2楽章のチェロの美しくのびやかな音や抜群にうまい各楽器のソロは、聞き手を幸福な気分に誘ってくれます。弦楽器間のバランスが良く、第4楽章のチェロとベースなど絶妙の響きを聴かせてくれました。
第1楽章と第3楽章の盛り上がりも自然で色彩豊か。オーマンディーの職人技が最大限に発揮された演奏だと思いました。

・フィラデルフィア管弦楽団
(1968年5月27、28日 フィラデルフィア アカデミック・ミュージックホール                       スタジオ録音)
RCAに復帰したオーマンディーは再びコロンビアに残したレパートリーの再録音に取りかかりました。この「悲愴」はRCAに移籍した初期の録音です。
相変わらずオケを良く鳴らした演奏で、特に豊麗なチェロの響きが堪能できる第2楽章は楽しめましたが、第3楽章の途中からテンポが弛緩するような部分があり、ここから第4楽章にかけては緊張感が最後まで持続せず、全体として中途半端な印象を持ちました。
この演奏で足を引っ張っている大きな原因は、木管楽器のソロを強調しすぎた録音バランス。また弦楽器と管楽器の残響時間も異なっていて、第1楽章の木管のみの合奏になるとモノラルのような音像になってしまいます。この時期の録音としては失敗作だと思います。
(2003.06.15)
back top next