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今回は、チェコフィルの首席指揮者として活躍したターリヒとクーベリックの悲愴です。 「ヴァーツラフ・ターリヒ(1883〜1961) ボヘミア生まれの名指揮者、ベルリンフィルのヴァイオリン奏者のかたわら大指揮者ニキシュに師事、1919年からチェコフィルの首席指揮者を20年余り勤め、このオーケストラを世界的なオーケストラに育てました。活動の場はほとんどチェコ国内に限られ、 1941年にチェコフィルの首席指揮者の地位を27歳のクーベリックに譲った後は、チェコ各地のオーケストラの水準を上げるのに尽力。スロヴァキアフィルもターリヒが創設したオーケストラでした。 ・チェコフィルハーモニー管弦楽団 (1953年 プラハ スタジオ録音) 巌のような頑固さの中に、格調の高い品格を見せた名演奏。派手さとは無縁の鄙びた趣ですが、内部に熱い炎が燃えているような激しさも感じさせます。 第1楽章の展開部の220小節でテンポをがくんと落とすのは、クーゼヴィツキーをはじめとした同世代の指揮者が良く見せていた解釈、その後のクライマックスに向かってもティンパニに小刻みなクレシェンドを掛けさせながら盛り上がります。上りつめる直前でティンパニのトレモロを加えていました。大きく揺れる第2楽章。第3楽章ではテーマの合いの手のトランペットの第3拍目を極端に強調しファンファーレ風の効果を上げるといった、随所に個性的な動きを見せるユニークな演奏でした。 「ラファエル・クーベリック(1914〜1996)」 大ヴァイオリニストヤン・クーベリックを父に持つクーベリックは、恵まれた音楽環境の中で才能を伸ばし、1941年に27才の若さでターリヒの後を継いでチェコフィルの首席指揮者となりますが、1948年チェコの共産主義化を嫌い西側に移住。その後シカゴ響の音楽監督、バイエルン放送響の首席指揮者を歴任、1984年に引退を表明するも、チェコの民主化に心を動かされ、1990年プラハの春音楽祭において、42年ぶりにチェコフィルの指揮台に立ち、スメタナの「わが祖国」全曲の圧倒的な演奏を聴かせました。 クーベリックの「悲愴」は、以下の4種があります。 ・シカゴ交響楽団 1954年 11月 スタジオ録音 ・ウィーンフィル 1956年 8月 ライヴ録音 ・ウィーンフィル 1960年 11月 スタジオ録音 ・バイエルン放送交響楽団 1974年 ライヴ録音 海賊盤 今回は、1956年のウィーンフィルとのザルツブルク音楽祭でのライヴを聴いてみました。 ・ウィーンフィルハーモニー管弦楽団 (1956年 8月26日 ザルツブルク音楽祭 ライヴ録音) オーストリア放送局に保管されていた録音のCD化。当時のクーベリックは、シカゴ響の常任指揮者を辞し、活動の拠点をヨーロッパに移していました。 この時期のクーベリックは、ウィーンフィルを振ってブラームスの交響曲全集や、チャイコフスキーの後期交響曲集、スメタナ、マーラーといった録音を残していますが、それ以前のシカゴ響との若々しくも鮮やかな演奏や後のバイエルン放送響時代の熟成した演奏と比べると、いささか中途半端な印象は否めません。 このウィーンフィルとのライヴも、テンポはせかせかしていて定まらず、歌い方も不自然、ひたすら楽天的な第3楽章の行進曲。テンポを極端に揺らして粘りに粘って過度に ロマンティックに見せようとする第4楽章など、クーベリックとしては極めて不本意な演奏だと思います
(2003.05.23)
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