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「悲愴」を聴く20・・・カラヤン その3
今回は、カラヤンのベルリンフィルとの71年、76年盤と晩年のウィーンフィルとの録音を紹介します。

・ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
(1971年9月16日〜21日 ダーレム イエス・キリスト教会 スタジオ録音)

1970年、カラヤンはドイツ・グラモフォンとEMIとの間に新たな録音契約を結び、
その結果EMIとの録音が増えてきました。同じイエス・キリスト教会を録音会場として
選びながらもグラモフォンとEMIでは、録音技術者の違いにより、聴いた印象はかなり異なります。特にEMIのものは、当時流行の4チャンネル録音のものが多く、通常のステレオで聴くと幾分ふやけたような音像で再生される傾向がありました。
「悲愴」のベルリンフィルとのステレオ再録音はこのような時期に行われています。
この時チャイコフスキーの後期交響曲3曲の録音が、わずか5日で録音されています。
この71年盤は、チャイコフスキーよりもカラヤンの存在が前に押し出されて嫌味さえも感じられた64年盤に比べ、振幅の大きな、劇的で圧倒的な演奏です。
第1楽章冒頭の消え入るようなpppから大爆発の展開部以降まで、ダイナミックレンジの広さは驚異的で、このカラヤンの要求に完璧に答えているベルリンフィルの能力も見事なものです。比較的テンポを落とした第2楽章に比べ、第3楽章は、カラヤンの「悲愴」中最速で、きわめてスリリングな白熱の演奏です。第4楽章では、62小節目からのホルンの強調はまるで悲鳴のよう、終盤のホルンのゲシュトップの凄まじい響きとアンダンテ・ジェストのあたかも鐘の響きのように鳴り響く木管部分が印象に残りました。

・ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
(1976年5月5日〜7日 ベルリンフィルハーモニーホール スタジオ録音)

実に6度目の録音、録音会場がベルリンフィルの根拠地、フィルハーモニーホールに変わりました。60代後半となったカラヤンですが、音楽は衰えを感じさせない若々しいもの。
第1楽章展開部はかなり速く、猛烈なスピードで飛ばしていました。
1975年盤よりも表現の洗練さが増し、ピアニシモの部分など実に神秘的ですが、多少マンネリを感じてしまうのは、後のウィーンフィルとの演奏を先に聴いてしまったからかもしれません。

・ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
(1984年1月10日〜16日 ウィーン・ムジークフェライン スタジオ録音)
7度目にして、カラヤン最後の「悲愴」となりました。
6度目の録音を聴いた時には、なぜ再録音したのか疑問に思うところもありましたが、このウィーンフィルとの演奏を聞いていると、カラヤンが絶えず理想としていた演奏がどこにあったのかが判るような気がします。面白いのは、カラヤンの最初の録音となった1938年盤とテンポ運びが似ていることで、最後になって原点に回帰したということでしょうか。
他の演奏とは異なる、次元を超えた最高の高みに達したことを感じさせる演奏で、ダイナミックレンジの広さ、自然なテンポ運びなど、いつものカラヤンの表現そのままなのですが、全体としては謙虚に淡々と楽譜に書かれていることを最高の精密さで再現している、といった印象です。消え入るようなピアニシモで音が消えていく瞬間での、思わず息を飲む緊張感、オケと指揮者が一体となって切々と訴えかける第4楽章など
カラヤンの全ての録音中、代表盤ともいえる圧倒的な名演。

(2003.05.20)
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