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「悲愴」を聴く16・・・ミトロプーロスとホーレンシュタイン
今回は、大変な実力者で今でも熱烈なファンのいる孤高の名指揮者
ミトロプーロスとホーレンシュタインの「悲愴」です。

「ディミトリ・ミトロプーロス(1896〜1960)」
ギリシャ生まれの大指揮者。生家は、ギリシャ正教の僧侶の名門であった。 自作のオペラがサン・サーンスに認められ、ブゾーニに師事、耳の化物と言われ、 スコアが複雑であればあるほど完璧に暗譜してしまったと言われ、ベルリンフィルに客演した際、直前に急病となったピアニストの代わりに、独奏も兼ねて、難曲プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を指揮して大成功を収めたエピソードが残っています。
1937年からミネアポリス響(現ミネソタ響)、1949年からニューヨークフィルの音楽監督。 マーラーの交響曲第3番のリハーサル中に心臓発作で劇的な死をとげました。
ニューヨークフィルの音楽監督辞任後は、フリーとしてヨーロッパ各地のオケに客演、特にウィーンフィルとは密接な関係を持ちました。
「悲愴」は、ニューヨークフィルとのスタジオ録音があります。

・ニューヨークフィルハーモニック
(1957年 11月 ニューヨーク・セントジョージホテル スタジオ録音)

鋭角的で過激な演奏。厳しく禁欲的でロマンティックさを排除した演奏です。
テンポは早めで、特に第1楽章の第1主題のアレグロ・ノン・トロッポは、相当な早さで、後の展開部のアレグロ・ヴィヴォとほとんど同じでした。
第2主題が再現するアンダンテでも減速せずにそのまま通りすぎていきました。
第2楽章もアクセントを強調した甘さとは無縁の演奏。明晰で厳しい解釈ですが、チャイコフスキーとしては、無味乾燥な印象を与えかねないきわどい演奏だと思います。

ところが第4楽章まで聴き進んでいくうちに、アッと驚くことが起きました。
第4楽章のクライマックス部分アンダンテ直前のフルート・オーボエに、トランペットを
重ねています。これはこの連載で既に紹介したフルトヴェングラー&ウィーンフィルの演奏として発売された後に、非フルトヴェングラー盤とされた日本クラウン盤CDで聴かれた改変です。
気になって日クラウン盤と聴き比べてみたところ、テンポの動きが実によく似ていました。しかし日クラウン盤のオケの響きは、まぎれもないウィーンフィルの響きなので、
この壮絶なライヴは、ミトロプーロスが度々客演したウィーンフィルとの演奏の可能性が高いと思います。

ニューヨークフィルとのスタジオ録音は、ライヴほどの燃焼度は感じられず冷めた印象ですが、とにかく個性的で優れた演奏です。

「ヤッシャ・ホーレンシュタイン(1898〜1973)」
ウクライナのキエフ生まれ、6歳でウィーンに移住し教育はウィーンで受けています。
フルトヴェングラーの助手として出発し、デュッセルドルフ市立歌劇場の首席指揮者。
ユダヤ系のためナチに追われアメリカへ移住。戦後は特定のポストにつかず、もっぱら
客演指揮者としての生活を送りました。特にマーラー、ブルックナーの指揮者として名高く、録音も比較的多く残っています。
「悲愴」はロンドン交響楽団との録音があります。

・ ロンドン交響楽団
(1966年ころ スタジオ録音)

振幅の大きな大人の音楽。オケのドライヴ能力は半端ではなく、もともと実力のあるロンドン響から最大限の力を引き出しています。
第1楽章のクライマックスなど、オケは凄まじい力で鳴り切っているのにバランスが完璧なため、実に透明な響きを聴かせています。
演奏全体は遅いテンポでミトロプーロスのように即物的でなく幾分ロマンティックな趣を残しているのは、ウィーンでの経験が長いためなのでしょうか。スケールの大きな、風格のある名演奏だと思います。
(2003.04.14)
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