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「悲愴」を聴く15・・・フランス系の指揮者たち3  ミュンシュ
シャルル・ミュンシュ(1891〜1968)

アルザス地方ストラスブール生まれ、当時のストラスブールはドイツ領、ミユンシュはドイツ系の音楽一家の一員で、シュヴァイツァーも親戚筋にあたります。
パリ音楽院でヴァイオリンを学び、ワルターが常任指揮者であったライプツィヒゲヴァントハウス管のコンサートマスターの後に指揮者に転進、パリでオーケストラを組織後、パリ音楽院管(1938〜1946)ボストン響(1949〜1962)の常任指揮者。
1967年には新たに創設されたパリ管弦楽団の初代音楽監督に就任しましたが1968年に急逝。ミュンシュは活躍の場はフランス中心でしたが、ドイツとフランスの両方の教育を受け、フランス物だけではなく、ベートーヴェンやブラームスにも名演を残しています。
ミュンシュ「悲愴」には、パリ音楽院管とボストン響の二つの録音があります。

・パリ音楽院管弦楽団
(1948年  パリ スタジオ録音) 
SP録音からのCD復刻盤。この国内盤CD復刻はかなり杜撰で、第1楽章と第4楽章に音が途中で途切れるようなはっきりとした継ぎ目があり、休符での継ぎ目も、譜面を無視した長さで接続していたりします。
演奏は、早めのテンポできちっとしていながら、ところどころ古めかしいテンポの動きを見せた個性的なもの。当時のフランスのオケ特有の明るい響きを前面に押し出しています。特にホルンのヴィヴラートは全く独特で、同じオケを振ったほぼ同じころのクライバーの録音と比べても、随分と派手な印象です。
随所でミュンシュ独特のテンポ運びを見せ、第1楽章の展開部のあたり229小節めの
ホルンのシンコペーションに入る部分は極端にテンポが落ちます。この急ブレーキのために、私には今まで持続していた緊張感がぶっつりと絶たれた印象を持ちました。
第3楽章終結部の極端なアッチェレランドも全く不自然。第4楽章の100小節め、クライマックスでどんどんテンポを早め、頂点で極端に落とすのも、妙に古臭く感じてしまいました。

・ボストン交響楽団
(1961年 ボストンシンフォニーホール スタジオ録音)
旧盤と異なり、遅いテンポの重量級の演奏。巨匠の貫禄で一気に聴かせる演奏ではあるものの、各所で見られる相変わらずの意味不明のテンポの動きはどうも気になりました。
第1楽章展開部のホルンのシンコペーション部分でテンポをがくんと落とすのは、旧録音と同じ解釈。ただ演奏自体は充分に練れていて、第3楽章のクライマックス向けたテンポを自然に加速しながら凄まじい盛り上がりを見せる部分などは、さすがに巨匠の芸です。
骨太で健康的でありながらも洗練さも感じさせるところが、ミュンシュの実力のなせる技かもしれません。オケはさすがに優秀で、特に絶妙のタイミングで入るティンパニの素晴らしさが目につきました。
(2003.04.10)
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