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「悲愴」を聴く14・・・フランス系の指揮者たち2・・・アンセルメとモントゥー

エルネスト・アンセルメ(1883〜1969)
ジュネーヴ生まれ、数学と物理学をローザンヌ大学で専攻するかたわら作曲をブロッホに学ぶ。ローザンヌ大学の数学の教授職を辞し指揮者としてデビュー、ロシア・バレエ団の指揮者となり、ドビュッシーやラヴェル、ストラヴィンスキーと親交がありました。1915年ジュネーヴ交響楽団の指揮者、1918年にスイス・ロマンド管弦楽団を創設し、66年まで音楽監督の地位にありました。フランス物だけではなく、ロシア物やバッハからベートーヴェン、バルトークに至る膨大な量の録音を残しています。

・スイス・ロマンド管弦楽団
(1956年 ジュネーヴ ヴィクトリアホール スタジオ録音)
明るいオケの響きとテンポの動きも個性的な「悲愴」。
第1楽章冒頭部分から展開部直前まではかなり早く進行しますが、展開部では他の演奏に比べるとかなり遅め、これはオケの性能に合わせたのかもしれません、実際、スイスロマンド管は首席奏者と他の奏者との腕のバラツキが大きく、高度な合奏力を要求される部分などかなり危うい部分があります。第3楽章などリズムの重さが気になりました。
第4楽章でトランペットをやたら強調しているのが実にユニーク。第2楽章もサラリと流し、全体の印象としては淡白でカロリー低めの演奏。

ピエール・モントゥー(1875〜1964)
パリ生まれ、パリ音楽院でヴァイオリンを学び、コロンヌ管のヴァイオリン奏者を経て指揮デビュー、ディアギレフ率いるロシアバレエ団の指揮者として、「春の祭典」や「ダフニスとクロエ」の初演を振っています。モントゥーは若い頃ブラームスの前でヴァイオリンを演奏したり、グリーグやラヴェル、サン・サーンスたちといった音楽史上の大作曲家たちとも親交があった、もはや歴史上の人物といえます。パリ響(今は消滅)、ボストン響、サンフランシスコ響、ロンドン響の常任指揮者を歴任しました。

・ボストン交響楽団
(1955年 1月26日 ボストン・シンフォニーホール スタジオ録音)
モントゥーが、かつて音楽監督であったボストン響客演時に録音されたもの。
この「悲愴」の演奏があまりにも素晴らしかったので、急遽チャイコフスキーの4番と5番の交響曲も録音されることになりました。
演奏は、ハイドンやベートーヴェンの音楽を思わせる厳しくも古典的な均整のとれた名演。チャイコフスキーの音楽は、楽譜に書かれていることを忠実に再現すれば充分だというお手本のような演奏で、「悲愴」というタイトルをあえて否定したかのような、感傷を廃した演奏です。
弦楽器は1stVn−Vla−Vc−2ndVnの対向配置、左右に分かれたヴァイオリンの立体的な響きは実に効果的で、第1楽章でファーストヴァイオリンとヴィオラが同時に進行する部分など見事なものです。特に気品と威厳に満ちた第4楽章は絶品。大地を揺るがすような怒涛の演奏を望む人には向いていませんが、長く聴いていて飽きのこない演奏だと思います。当時のボストン響のふくらみのあるしなやかな響きも心地良く、特にフランス風のヴィヴラートを強くかけたトロンボーンセクションが印象に残りました。

(2003.03.30)
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