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「悲愴」を聴く12・・・ロシアの指揮者たち4・・・ロジェストヴェンスキー
「ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(1931〜)」

このモスクワ生まれモスクワ育ちの指揮者は母が歌手、父も指揮者(アノーソフ)といった音楽一家で、1961年からモスクワ放送響の首席指揮者。1972年には来日してショスタコーヴィッチの交響曲第15番の国外初演を行っています。
このころのロジェストヴェンスキーは、才気活発な天才的な閃きを見せた名指揮者といった印象があり、当時の私はショスタコーヴィッチの交響曲第15番やチャイコフスキーの交響曲第5番の演奏をテレビで見て、色彩感と力強さに富んだ演奏に、非常に感動しました。バレリーナのような独特の指揮振りも印象的でした。
思えばロジェストヴェンスキーにとってこの頃が一番良い時期で、その後彼のために ソビエト政府が優秀な演奏者を集めて特別に組織したといわれるソビエト文化省響(その後ソビエトフィルを経てモスクワシンフォニックカペレ、今もあるのかなぁ?)の録音や読売日響(名誉指揮者)の演奏を聴くと、かつての生き生きとした音楽造りが後退してしまったように思えます。
ロジェストヴェンスキーは、70年代初めにチャイコフスキーの交響曲全集を残しています。「悲愴」は他に1966年のロンドンプロムスのライヴとロンドン交響楽団を振った
スタジオ録音、そしてソビエト国立文化省交響楽団との録音があります。
今回は3種類の演奏を聴いてみました。

・モスクワ放送交響楽団
(1966年 8月21日 ロンドン プロムスでのライヴ)
ロンドン名物プロムナードコンサートでの演奏会録音。
演奏は荒削りで豪快、即興的なテンポのユレが随所で見られ、そのためにオケのアンサンブルに大きな乱れがあります。
しかし流れそのものは自由で、演奏者たちのノリの良い演奏。ひたすら突き進む様は痛快ですらあります。第1楽章の後半のクライマックス部分では、直前でテンポを落とし、アクセントを極端に強調、第2楽章のテインパニのクレッシェンドを前面に押し出したりといささか大向こう向けの演出が見られました。
特に第3楽章はオケが暴走気味でトランペットが大幅にずれたりしていますが、なかなかの迫力で、第3楽章終了後に大きな拍手が湧いています。第4楽章もかなり感情の起伏が激しい演奏で、30代のロジェストヴェンスキーの熱い部分の出た演奏だとおもいました。

・モスクワ放送交響楽団
(1973年 モスクワ放送大ホール スタジオ録音)
チャイコフスキー交響曲全集中の1枚。このころのロジェストヴェンスキーは、オケとの関係が最も最高潮にあった時代で、ロシア音楽のみならず、ブルックナーからラヴェルまでの膨大な録音を残し、それぞれが個性的な演奏でした。
この演奏もロジェストヴェンスキーの絶好調を伝える素晴らしい名演だと思います。
ロシア的な重量感の中に都会的な洗練さも兼ね備えた演奏で、各楽章の山場でのテンポや強弱の設定は計算され尽くしたものですが、聴いているうちに次第に指揮者のペースに巻き込まれていくといった印象です。
各楽器のバランスも絶妙、ロジェストヴェンスキーの意図を見事に再現するオケの技量は圧倒的で、当時のモスクワ放送響の実力が世界の最高水準にあったことを物語っています。
第1楽章後半の280小節あたりでは、弦楽器群が猛烈なヴィヴラートをかけてそれにギンギンにヴィヴラートをたっぷりかけたブラス群が乗る部分など、下品に陥る一歩手前という危うさはありますが、「悲愴」という曲のイメージには一番近いのではないでしょうか。

・ロンドン交響楽団
(1980年代 ロンドン スタジオ録音)
楽譜に書いてあるとおりにソツなくまとめた演奏。オケも充分に鳴っているし、テンポの変わり目も鮮やか、特に大きな欠点はありませんが、どことなく覇気に欠ける演奏でした。
この頃からのロジェストヴェンスキーは芸風が変わり、安全運転気味の面白みに欠ける演奏が多くなってしまったように思います。
(2003.03.22)
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