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「悲愴」を聴く10・・・ロシアの指揮者2 イワーノフとコンドラシン
「コンスタンチン・イワーノフ(1907〜?)」

ロシアのエフレーモフ生まれ、軍楽隊のホルン奏者としてスタート、22歳でモスクワ音楽院に入学し指揮を学ぶ。1938年全ソビエト指揮者コンクールでムラヴィンスキーと一位を分け合い注目を集めました。(三位だったとの説もあります)
その後ソビエト放送交響楽団(モスクワ放送響)の指揮者を経て、ソビエト国立交響楽団の常任指揮者(1946〜1965)。
イワーノフは、レニングラードフィルのムラヴィンスキーとともに一時期ソ連の指揮者の代表格でした。引き締まった造型感覚の中にも洗練さを見せた音楽造りを見せていたムラヴィンスキーに対して、イワーノフの音楽は、まさにロシアの大地を彷彿させる豪放磊落、悪く言えば田舎臭い大雑把なところに独特の魅力がありました。

・ソビエト国立交響楽団
( 1960年代はじめ、 スタジオ録音)
海外オーケストラの来日公演がまだ珍しかった1964年にこのコンビが来日し、
オケの圧倒的なパワーで聞き手を圧倒したという話が残っています。
この頃の録音であるイワーノフの「悲愴」は、意外にも柔らかで繊細さを見せた演奏
でした。ただ幾分荒い、洗練さと無縁の演奏で、第2楽章のワルツなど、リズムが重い上にテンポを煩雑に動かすために、なんとも野暮ったい印象です。
全体に重く、暗い響きの中に甘さが漂うのはロシア的とでも言うのでしょうか、
オケはさすがに高性能で、他を圧するチューバの咆哮が印象に残りました。

「キリル・コンドラシン(1914〜1981)」
このモスクワ生まれモスクワ育ちの名指揮者は、史上初のショスタコーヴィッチ交響曲全集録音という快挙を成し遂げています。
ボリショイ劇場の指揮者の後、モスクワフィルの常任指揮者、このオケの水準を飛躍的に上げています。78年には西側に亡命、アムステルダム・コンセルトヘボウ管の首席客演指揮者となりました。亡命後はウィーンフィルなどを振り数多くの名盤を残しています。コンドラシンの音楽は、知的でいて強固な構成力に裏打ちされたもので、ロシア音楽に限らず、マーラーやブラームスでも名演を聴かせました。81年テンシュテットの代役として北ドイツ放送響とマーラーの「巨人」を演奏したその晩に急逝しました。
コンドラシンの「悲愴」には1965年録音のスタジオ録音と、1967年初来日時の
ライヴ録音があります。オケは両方ともモスクワフィル。今回は来日公演を聴いてみました。

・モスクワフィルハーモニー
(1967年4月22日 東京文化会館 ライヴ録音)
このコンビ初来日時の録音。当時NHKが収録していた録音で最近CD化されました。
この来日のプログラムには、マーラーの9番やショスタコーヴィチの6番や8番の交響曲など、実に意欲的なプログラムが並んでいます。特にマーラーは日本初演となりました。
この「悲愴」は来日公演の初日の録音で、早いテンポで進めた都会的で洗練された名演奏。モスクワフィルには、レニングラードフィルやソビエト国立交響楽団のような重量感や凄みというものは感じられませんが、コンドラシンはオケを見事に統率し、若々しくスピード感が溢れ、要所要所で聴かせる金管の輝かしい響きとティンパニの一撃が心地よく決まっている見事な演奏です。
第1楽章の冒頭から早いテンポで始まりますが、歌いまわしも丁寧で第2主題も感傷的に陥る一歩手前で踏みとどまっています。展開部のアレグロ・ヴィヴォでは、ティンパニの強打で雰囲気が一転、猛烈に速いテンポで嵐のような盛り上がりを見せていました。
同じく早いテンポで駆け抜ける第2楽章は、疾走する悲しみを見せ、知的で情に流されない表現が印象に残ります。終結部のテンポの落とし方も実にお見事。
第3楽章、第4楽章も燃焼度の高い充実した音楽を展開し、ライヴの一発演奏で、これだけの完成度を見せるコンドラシンの実力にいまさらながら驚きました。
(2003.03.09)
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