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「ウイルヘルム・フルトヴェングラー(1886〜1954)」 20世紀前半を代表する大指揮者フルトヴェングラーにとって、チャイコフスキーは レパートリーの中心とは言えませんでしたが、実演ではかなりの回数「悲愴」を取り上げられています。録音は、ベルリンフィルとの1938年のスタジオ録音と1951年のカイロでの演奏会録音が残されています。 他にウィーンフィルとの1951年録音と言われている演奏がCDで出たことがありますが、今ではフルトヴェングラーではないとされています。 今回はベルリンフィルとの二つの録音紹介しますが、非フルトヴェングラー盤と言われてるウィーンフィルとの演奏が、実に壮絶な名演なので便宜上ここで紹介します。 ・ ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 (1938年10月、11月 スタジオ録音) 20世紀前半にメンゲルベルクと人気を二分した名盤。 メンゲルベルクが、チャイコフスキーが事細かに記した強弱や表情記号に加え、独自の表情付けをしているのに比べ、フルトヴェングラーは表情記号をむしろ無視し、淡々と進めた演奏と言えます。第1楽章の第2主題部分など、最初はテヌート気味の表情をつけるものの、続くインカルツァンドは、ほとんど無視し、同じテンポで進行していきます。 演奏そのものは、高潔にして崇高な演奏。冒頭部分の何気ない音の延ばしにも、意味深い存在感の感じられる名演です。 第3楽章はインテンポで通しますが、終結部のコーダでの猛烈な加速と内声部のトロンボーンの強調が印象に残りました。 ・ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 (1951年4月19日または22日 カイロでのライヴ録音) ロマンティックで起伏の大きな高貴で澄みきった名演。 第1楽章の終結部、第2主題が再現する部分など、あまりの崇高さに胸を打たれます。 第2楽章のトロリとしたロマンティックな歌いまわし、トリオのテンポの移り変わりは実に精妙。第4楽章12小節目のラレンタンドを、むしろアチェレランド気味にするなど、フルトヴェングラー独自の解釈が見られます。 ライヴらしい粗さがあるとはいえ、1938年盤よりもドラマティックで、 こちらの方がフルトヴェングラーらしい演奏と言えそうです。 ・ ウィーンフィルハーモニー管弦楽団 (1951年 10月13日 ミュンスターでのライヴ録音 疑問盤) パレットレーベルから80年代に発売された演奏です。 しかし、今ではフルトヴェングラーの演奏ではないことが確認されています。 オーボエの響きなどを聴いていると、ウィーンフィル特有のウインナオーボエの 響きなので、オケはおそらくウィーンフィルだと思います。 演奏は燃焼度の高い壮絶なもの。 筋肉質で無駄のない動きを見せ、雄大な盛り上がりを見せる第1楽章。 オケを自由闊達にドライブし、粘らずサラリとした第2楽章。 早いテンポの第3楽章は、クライマックスに向け長大なクレシェンドを見せながら テンポを段階的に上げていきます。そして頂点での実に壮絶なクライマックスには、 思わず興奮させられました。 第4楽章12小節目のラレンタンドでは、強い木管楽器のアクセントと消え入るような弦楽器の対象の妙が、例えようない寂寥感を出しています。曲の後半のクライマックスで トランペットとトロンボーンが上昇音型を見せる部分の頂点のリテヌート部分で、 譜面上では金管楽器が消え木管のみによる強奏部分となりますが、ここではトランペットを加筆し、さらなる盛り上がりを見せていました。 このような見事な演奏を見せる指揮者は、いったい誰なのでしょうか。 *追記 その後、第4楽章のトランペット加筆は、ロジンスキーとミトロプーロスが おこなっていることが判りました。 テンポ設定、演奏の燃焼度の高さから見て、このフルトヴェングラーとされる「悲愴」 は、ミトロプーロスのライヴの可能性が高いと思います。
(2003.02.09)
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