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「悲愴」を聴く29・・・ロシアの指揮者たち6・・・カヒッゼとフェドセーエフ
「ジャンスク・カヒッゼ(1936〜2002)」
黒海東岸の国グルシアの首都トビリシ生まれ、パリでマルケヴィッチに師事、トビリシ交響楽団の音楽監督。ここ数年かなりの数の録音を残し、ロシア音楽のみならずベートーヴェンやその他の作曲家の録音を廉価で集中的に出しているHDCレーベルの演奏です。これらは最近数百円で輸入CD屋に並び、ダイソーの100円CDシリーズにも登場しています。70年代にボリショイ劇場のオケを振って、荒削りで民族色豊かな「ガイーヌ」全曲の録音を残していました。1986年にレニングラードフィルと来日。

・トビリシ交響楽団
(2001年   スタジオ録音)
カヒッゼは「悲愴」を得意とし、ロンドンフィルを振ったロンドンデビューでも「悲愴」を振っています。この2000年前後にこのコンビは驚異的な量の録音を行っていますが、細部を聴いてみると粗製濫造気味な演奏もあります。「悲愴」もそのような演奏で、スタジオ録音なのに大きなミスが修正されずにそのままの状態でした。
第3楽章など3番ホルンが4小節先に飛び出し、一人でタッタカ・タッタカやっています。第4楽章のゲシュトップも演奏至難な部分ではオクターヴ上げて吹いていました。(ゲシュトップミュートがないのかも)
しかし演奏としては、荒っぽいアンサンブルと薄い響きのオケに難はあるものの、民族色豊かな哀愁を帯びた暗い音色と、コントラバスを左に配置した古典的な様式がミックスされた面白いものでした。第4楽章のフォルティシモで、普通聞こえないようなトランペットや3番トロンボーンが突出してくるのが、なんともローカルな深い味わいを感じさせました。

「ウラディミール・フェドセーエフ(1932〜)」

豪快で華麗な力強さと理知的な解釈が絶妙のバランスを見せるロシアの名匠フェドセーエフ。1975年の初来日以来1986年からは、ほぼ2年おきに来日するほど日本で人気があります。
1988年の来日時には沼津市民文化センターで「悲愴」を演奏しました。まだ旧ソビエト崩壊によるメンバーの流出もなく、このコンビの絶頂期とも言える時期で、指揮者とオケが一体となった圧倒的な「悲愴」の演奏を聴かせました。特に第3楽章のクライマックスでのシンバルのイッパツが実に鮮やかで、この瞬間会場から大きなため息が出たことを今でもはっきり覚えています。なおアンコールは今回の沼響と同じく「眠りの森の美女」のワルツでした。
フェドセーエフはモスクワ放送響を振って3回の録音を残しています。
・1981年
・1991年
・1999年
1981年録音は全集録音中のもので、他にフランクフルトの演奏会の模様が
レーザーディスクで出たことがあります。

・モスクワ放送交響楽団
(1999年 スタジオ録音)

フェドセーエフ3度目の録音、スイスのレリーフレーベルから出ているデジタル録音です。
テンポを崩し強弱も改変した個性豊かな「悲愴」でした。88年の実演の「悲愴」は実にロシア的なオーソドックスな演奏だったように思いましたが、この99年録音はかなり独特のものです。
全体にティンパニの音が目立つのは録音のためでしょうか、第1楽章で第2主題が再現する直前の部分など、楽譜ではmf,p,ppで次第に減衰していくのですが、この演奏はfでそのまま3発叩いています。第3楽章のティンパニの乱打など、かなり凄まじい音です。
第1楽章の最終部分のアンダンテはかなり早く、第2楽章は通常より極めて遅め、そして
第3楽章はかなり早いテンポで、ちょっと効果を狙いすぎか?
オケのアンサンブルは問題のない出来で、弦楽器群のビロードのような音色はなかなかの聞き物でした。どうやらひところの低迷の時期から抜け出したようです。
中でも壊れ物をそっと触れるかのようにデリケート歌う第4楽章の弱音のコントロールは、実に見事なものでした。
(2003.06.09)
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