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「悲愴」を聴く23・・・ロジンスキーとゴルシュマン
今回は主に50年代にアメリカのメジャーオケを中心に活躍したロジンスキーとゴルシュマンの「悲愴」です。

「アルトゥール・ロジンスキー(1894〜1958)」

ポーランドのスパラートで生まれたユダヤ系の指揮者。ストコフスキーの招きでフィラデルフィア管弦楽団の副指揮者を務めた後、ロスアンジェルスフィルやシカゴ響、クリーヴランド響、ニューヨークフィルの指揮者を歴任。オーケストラビルダーとしての腕は一流で、それぞれのオーケストラを世界屈指の一流楽団に鍛えています。トスカニーニのために創設されたNBC交響楽団のトレーニングにも一役買っていた程です。が、練習は厳格を極め、喧嘩っ早い性格のため、オーケストラのメンバーからは嫌われ、晩年はどこのオケからもお呼びがかからなくなってしまいました。ロジンスキーの悲愴は晩年のスタジオ録音があります。

・ロイヤルフィルハーモニック管弦楽団
(1954年 10月3,4日 ロンドン ウォルサムストウホール)

ロジンスキーといえば、男性的でダイナミックなどちらかといえば大味な演奏が多かったのですが、この演奏は、油気が抜けたようなサラッとした淡白な演奏でした。ちょっとした間の取り方やテンポの加速具合など、さすがに老練ですが、元気なころのロジンスキーならば第3楽章などもっと効果的に盛り上げたと思います。
第1楽章展開部249小節の直前の大きなタメ、315小節目第2主題が再現する部分で主題の冒頭に大きなアクセントをつけるところなど、ロジンスキーらしいアクの強さが出た部分もありますが、全体的には、ダイナミックさよりも叙情性を重視した演奏だと思います。
ここで注目されるのは、第4楽章後半のクライマックス、アンダンテ直前のリテヌート部分の木管にトランペットを重ねていることで、これはミトロプーロスも採用していた解釈です。ニューヨークフィルの音楽監督としてロジンスキーはミトロプーロスの前任者でもあり、これはロジンスキーの解釈か、あるいはかつてニューヨークフィルの音楽監督であったマーラーの解釈がニューヨークフィルに伝承されていたのかもしれません。


「ウラディミール・ゴルシュマン(1893〜1972)」

両親はロシア系で、パリで生まれたゴルシュマンは、パリで音楽を学びティボーやカペーといった伝説の名手たちが加わった室内合奏団の指揮者の後、ディアギレフのバレエ・リュッスで活躍しました。1930年代以降は、アメリカに活動の中心地を移し、50年代から60年代前半にかけてはセントルイス響やウィーン国立歌劇場管を振って通俗名曲を中心に多くの録音を残しています。「悲愴」は、ウィーン国立歌劇場管を振った録音がアメリカのヴァンガードレーベルから出ていました。

・ウィーン国立歌劇場管弦楽団
 (1959年ころ ウィーン スタジオ録音)

この演奏は、ボールトの「英雄」とのカップリングで日本キングから廉価盤として発売になった時に、1枚に最も長時間収録したLPということでギネスブックに載りました。
しかし片面に40分以上の収録となれば、充分な再生音を得られるわけもなく、当時の批評も安かろう悪かろうの域を出なかったように思います。
今回聴いたのは米ヴァンガードのステレオデモンストレーション用として製作されたLPで、丁寧なカッティング細部も明瞭な優れた再生音です。

演奏は、ロシア的な暗くドロドロとした演奏とは対極にある、カラフルでモダーン、洒落た「悲愴」でした。全体的に速いテンポでスルスルと通りすぎていき、木管の音を比較的短めに演奏させているために、軽い印象を抱かせます。録音が残響の少ない乾くデッドであるために、なおさらです。中では弦楽器を美しく歌わせた第2楽章や、リズムをピシッと決める第3楽章は秀逸、オケが見事に鳴り切った第4楽章も良く、清涼感を感じさせる優れた演奏だと思います。
(2003.05.27)
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