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「セルジュ・チェリビダッケ(1912〜1996)」 ルーマニア生まれ、1945年から1954年まで戦後の混乱期の中にあったベルリンフィルを指揮。カラヤンがベルリンフィルの終身指揮者となるや各地を遍歴、シュトウトガルト放送響の常任指揮者を経て晩年はミュンヘンフィルの芸術監督となりました。 チェリビダッケはある時期から録音を一切拒否したため、幻の大指揮者として知る人と知る存在でしたが、ロンドン響やミュンヘンフィルとともにたびたび来日し、その死後シュトウットガルト放送響やミュンヘンフィルを指揮者した録音が怒涛のごとく発売され、今や日本でも御馴染みの存在。 私は1983年にミュンヘンフィルとの実演で「展覧会の絵」を聴く事ができました。録音ではシュトットガルト放送響とミュンヘンフィルとのライヴ演奏が正規発売されています。今回はミュンヘンフィルとの録音と80年ロンドン響との来日公演のエアチェックテープを紹介します。 ・ ロンドン交響楽団 (1980年4月ライヴ録音) 幻の指揮者として、海外の放送局提供のFM放送でしか接することのできなかったチェリビダッケが初めて来日し、読売日本交響楽団を指揮したのが1977年。1980年には名門ロンドン響を率いての来日公演が実現し、この時の模様はNHKFMで実況生中継されました。 当時学生だった私は、アパート中で安物のラジカセでこの生放送を聴いていました。今まで聞いたことのないゆっくりとしたテンポで始まったプロムナードに驚き、その驚きが次第に大きな感動に変っていったのを今でもはっきり覚えています。あまりにも遅いテンポに、当初予定されていた放送時間内では収まりきれず、急遽放送時間が延長されました。 今回聴いたのは当時のエアチェックテープ。20年以上たった今でも当時受けた印象は変りません。全体のテンポはきわめて遅いのですが、異様なほどの緊張感に満ちたピアニシモと、フォルティシモ部分でも崩れない神秘的な独特な響きが、演奏全体が弛緩する一歩手前で踏みとどまっています。この人跡未踏の深山の空気にも似た純粋で神韻とした響きはチェリビダッケ独特のもので、実演ではより一層身近に迫ってくるものがあったと記憶しています。この響きを録音で捉えるのは難しく、チェリビダッケが録音を拒否していた理由は、このあたりにあったのかもしれません。ロンドン響の艶の有るブラスの響きも素晴らしく、「キエフの大門」では、遥か彼方から巨大な構造物が次第湧きあがってくる様は圧倒的でした。私にとって、未だにこの演奏が「展覧会の絵」のベストです。 ・ミュンヘンフィル (1993年9月 ライヴ録音) チェリビダッケの死後EMIから正規発売された晩年の録音。他にミュンヘンフィルとの「展覧会の絵」には映像も残されています。 演奏のコンセプトはロンドン響の演奏とは全く異なります。この演奏は、晩年のチェリビダッケの他の演奏にしばしば見られたデフォルメの極地。ロンドン響の演奏よりもよりいっそう遅いテンポ。ムソルグスキー、ラヴェルの音楽をもはや大きく超えてしまった完全にチェリビダッケの世界です。 私の聴いたこのコンビの実演では「ヴィドロ」での盛り上がりが凄まじく、クライマックス部分では会場の空気が大きく震えたのを記憶しています。ただこの時は、後半部分でミュンヘンフィルがバテ気味で、「キエフの大門」では金管セクションが息も絶え絶えとなってしまいましたが、このCDでは比較的うまくいっていて、歌心溢れる「古城」、「カタコンブ」後半のピアニシモの雄弁さ、そして巨大な「キエフの大門」は他の追随を許さぬ凄みがありました。 晩年のチェリビダッケの音楽は、かつてのフルトヴェングラーの音楽がそうであったように、一凡人が考え得る表現の一歩上を行っていて、それがある種の必然性を持って具体的な響きとなって実現したときには、聞き手に圧倒的な感銘を与えました。 ただ一歩誤ると、随所に見られるあまりにもユニークな表現が、聞き手によっては好き嫌いが大きく分かれることがあったと思います。 なおEMIから発売されている一連のチェリビダッケのCDは、マスタリングが良いとはいえず、同じ演奏でも一部の海賊盤の方が、実演の雰囲気を良く伝えていたと思います。
(2002.04.21)
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