その22 / 「ホーレンシュタイン、ザンデルリンクとベルグルンド」
今回はロシアとも関係の深いホーレンシュタイン、ザンデルリンクとフィンランドの巨匠ベルグルンドのタコ5です。

ヤッシャ・ホーレンシュタイン(1898〜1973)

ウクライナのキエフ生まれ、6歳でロシアを離れウィーンで音楽を学びフルトヴェングラーの助手となる。 ユダヤ系のためナチスに追われたりしていて、凄い実力の持ち主でいながら一定のポストにつくこともなく放浪の人生を送ったホーレンシュタインですが、マーラー、ブルックナーでスケールの大きな圧倒的な名演を聴かせ、一部に根強いファンも多い指揮者です。 録音は1952年にウィーンのプロムジカ管を振ったものがあります。 オケの実体はウィーン響ともウィーン国立歌劇場のオケとも言われていますが不明。 おそらくヨーロッパでのこの曲の初録音ではないでしょうか、演奏は早いテンポで颯爽としたものです。長い音符を意図的に短く切っていて、当時ゲンダイオンガクであったこの曲をわかり易く演奏しようと意図しているようにも聞こえます。 第2楽章のホルンは、ウィーンフィルを振ったシルヴェストリ盤と同様にミュートを使わずゲシュトップ。ウィンナオーボエ、ウィンナホルンによる全体に古風な響きが聴かれます。第4楽章終幕のコーダでは楽譜にないシンバルの1発を追加、面白い効果をあげていました。

クルト・ザンデルリング(1912〜)

プロイセン生まれ、ベルリンで学ぶ。 1935年ナチスを避けソ連に移住後は、モスクワ放送響の副指揮者、ムラヴィンスキーの下で41年からレニングラードフィルの副指揮者。 ドレスデン国立歌劇場の音楽監督も務め、燻し銀のブラームスの録音を残しています。 今や現存する数少ないドイツ正統派巨匠の一人。 ショスタコーヴィッチは旧東ドイツのベルリン響の首席指揮者時代の交響曲選集があります。5番については他にバイエルン放送響との海賊盤ライヴCDもありました。 ベルリン響との録音は、オケの暗い響きを上手く生かしたズシリと重みのある演奏です。 強奏部分でも刺激的にならない柔らかで淡い響き、第4楽章は異様に早いテンポで始まりますが次第にテンポを緩めコーダではかなりゆっくりと終わります。これは通常の演奏と全く逆のパターンで意表をつかれました。今回LPとCDで同一の演奏を聴きましたが、音の響きが全く異なり当惑しました。LPは極めて鮮明で鋭角的、CDは淡い柔らかな響きで奥に音像が引っ込んでいます。聴いた印象は対照的で、いったいどちらが真実の姿を伝えているのでしょうか。

パーヴォ・ベルグルンド(1929〜)

フィンランドを代表する巨匠。ヘルシンキフィル、ストックホルムフィルなど北欧の名門 オケの首席指揮者を歴任、左手に指揮棒を持つユニークな指揮姿は印象的。 ショスタコーヴィッチはイギリスのボーンマス響を振った5,7,11番の録音があります。 ベルグルンドのショスタコーヴィッチは、透明で質朴なオケの響き、良く歌いテンポ設定のうまさが光る恰幅の良い堂々たる演奏。 これは拾い物の隠れた名盤です。 ただボーンマス響は一流どころのオケと比べると金管奏者のレベルにバラツキがあります。ホルンは優秀ですがトランペットがやや非力で、第4楽章など、無理をして吹いている感じです。

(2001.5.24)

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