その21 / 「テンシュテットとチェリビダッケ」
今回から個別に紹介していきます。 まずは沼響を振る齋藤先生とも縁の深い、20世紀後半の巨匠2人のタコ5。

クラウス・テンシュテット(1926〜1996)

旧東ドイツのメルゼブルク生まれ、52年ハレ市立歌劇場の首席指揮者をはじめてとして、 数々の旧東ドイツ歌劇場の総監督を歴任。その活動は旧東ドイツ国内に限定されていた ため西側にはほとんど知られなかったが71年に西側に亡命、1972年キール市立歌劇場 音楽総監督、アメリカのボストン響などの客演で大きな話題を呼ぶ。 その後北ドイツ放送響首席、ロンドンフィルの総監督などを歴任するが85年に喉頭癌を発病、幾度か引退を囁かれながらもその度にカムバック。 テンシュテットの音楽はドイツ音楽の本道を行く奥の深いもの、残された演奏はいずれも密度の高い名演ばかりです。
ショスタコーヴィッチの第5番は1985年フィラデルフィア管に客演した際の海賊盤 ライヴがあります。この客演の最中に癌の告知がされました。 この演奏は強靭な意志の力が感じられる振幅の大きな雄大な演奏。ベートーヴェンの音楽を聴くような奥の深い部分とマーラーにも似た狂的な烈しい部分が絶妙なバランスで共存した名演でした。

セルジユ・チェリビダッケ(1912〜1996)

ルーマニア生まれ、第2次世界大戦終了直後ベルリンフィルの再建に心血を注いでいた 首席指揮者のレオ・ボルヒャルトが練習の帰りに射殺され混乱を極めていたベルリンフィルに、大学を出たばかりのチェリビダッケが突如登場、以後追放されていたフルトヴェングラーが復帰するまでのベルリンフィルを支えました。 フルトヴェングラーの死とともにベルリンフィルを去り、以後客演指揮者としての活動に入る。 録音嫌いは有名で、若いころの数枚のレコーディングを除けば、レコードのための録音は一切拒否(ステレオ期では自作自演の録音のみ)していたため、一部の人だけが知る幻の指揮者でした。 死後放送録音の多くが正規にリリースされましたが、いずれも独特の境地を示した神ががり的名演揃い。 チェリビダッケは若い頃からショスタコーヴィッチを積極的に取り上げ、LP期にはベルリンフィルを振った第7番が出ていました。 第5番はトリノのイタリア放送局のオケを振った55年録音とミュンヘンフィルを振ったライヴ録音がCDとして出ています。(いずれも放送録音による非合法盤) 55年盤をきいてみました。55年といえばベルリンフィルを去ったばかりの客演時代、 後年のようなゆったりとしたスケールの大きさは獲得していません。早いテンポの 即物的な演奏。演奏全体に漂う狂的なまでの激しさはベルリンフィルを追い出された ヤケッパチの反映か?しかし音の響きの精妙さは、他の指揮者とは何かが違う尋常では ない雰囲気です。ミュンヘンフィルとのライヴは是非聴いてみたいのですが、(全演奏記録を見る限りではシュトウットガルト放送響時代には演奏していないようです。)未入手。

(2001.5.22)

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