その20 / 「ヴォルコフの証言」 ハイティンクとロストロポーヴィチ
1979年ヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」がアメリカで出版されました。 ロシアの若いジャーナリストのヴォルコフがショスタコーヴィッチに直接会い、 その回想を聞き書きした原稿を密かにアメリカに持ち出して出版したというものでした。
内容は当時のソビエト国内における文化事情の暴露本と言えるもので、今までベートーヴェン的理念に共通する「苦悩から歓喜」の交響曲とみなされていた第5番の終楽章が、実は強制的な歓喜であるということや、それまで作曲者の最大の理解者とされていたムラヴィンスキーの演奏は、作曲者の意図を歪めた演奏だとされたそのセンセーショナルな内容が西側で話題を呼びました。
しかしこの「証言」については出版当時から疑問視される声もあり、ソビエト崩壊後 作曲者の未亡人や親しい人々(ロストロポーヴィッチやニコライーエワ)が強く否定 したり、ヴォルコフ自身がショスタコーヴィッチ本人に会ったのが3〜4回で、しかも 他人を介してであったというような証言も現われるなど、さまざまなヴォルコフに対する疑念が暴露されるに及んで、現在では偽書の方向が強いとされています。
ともあれ1980年代初頭のいくつかの録音には、この「証言」が大きな影響をあたえることになりました。その代表的な演奏がハイティンクとロストロポーヴィッチと言われています。
ベルナルト・ハイティンク(1929〜)
アムステルダム生まれ、若干31才で、急逝した名指揮者ベイヌムの後任として ベルリンフィルやウィーンフィルと並ぶ名門オケ、アムステルダム・コンセルトヘボウ管の第4代指揮者となりました。
ハイティンクの音楽は緻密で中庸、若い頃は名門オケの 実力に頼った平凡な演奏が多かったのですが、70年代の後半から急速に円熟、今では 深みと重厚さを増した巨匠的存在。 ショスタコーヴィッチは1980年代から交響曲全集の録音をはじめています。
この録音が話題になったのは、「証言」が発表された後に西側で録音された初の第5番の録音であったことです。真面目なハイティンクのこと、おそらく「証言」も読んで録音にとりかかったのでしょう。全体に内省的な深い内容、フィナーレも暗く重々しい演奏となりました。第1楽章の重い足取りの中に深い叙情を感じさせる部分や、トランペットを強調したどこか滑稽さが漂う第2楽章など、曲全体はバランス感覚の優れたハイティンクならではの緻密な名演です。
ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ(1927〜)
アゼルバイジャンのバクー生まれ、幼少からチェリストの父からチェロを学び、 作曲をショスタコーヴィチに学ぶ。チェリストとしては世界的な存在です。 1968年指揮者デビュー、1977年からワシントン・ナショナル響の音楽監督。
ロストロポーッヴィチの指揮者はオケを豪快に鳴らした豪放磊落なもの、 指揮者としての初期の頃の「シェエラザード」やチャイコフスキーの交響曲全集は オケを鳴らしきったロシア的名演。
ショスタコーヴィッチの第5番は1982年と1995年のナショナル響を振ったCDと 80年代の演奏会ビデオがあります。今回はこの3種を聴いてみました。
82年録音は全編悲痛な叫びに満ちたもの、第1楽章の弦楽器の漣に似た響きは 暗い教会の片隅で、ひそひそ話しをしているような陰気さがあります。第2楽章は弓をべったりと押付けテヌートを効かせたかなりアクの強い演奏でした。オケの響きが荒っぽくて音が濁るので聴いていて落ち着きのない印象です。
95年盤は82年より洗練さを感じさせた演奏。第4楽章は旧盤よりも幾分早くなっています。
正直なところ両盤ともにあまり優れたものとは思いませんでしたが、80年代のビデオを聴いて(見て)印象が一変しました。ライヴゆえのアンサンブルの乱れはありますが、 全編を漂うロストロポーヴィッチの作曲者と故郷ロシアへの祈りが、指揮姿からひしひしと伝わって来る演奏でした。指揮棒を置いて指揮する第3楽章は作曲者への追悼の祈りでしょうか、怒りさえも感じさせる渾身の力を込めたフィナーレも出色の名演でした。
私はロストロポーヴィッチ本人が「証言」そのものの信憑性に強い疑念を抱いているのに、 82年盤の発売当時からヴォルコフの「証言」の影響を強く受けた演奏とされていたのに疑問を感じていたのですが、このビデオを見て、それは安易な深読みであり、「証言」とは無関係に、ロストロポーヴィッチ本人が自分の師であり友人であったショスタコーヴィッチに対する墓碑銘としてこの曲を演奏しているのだと思いました。
またヴォルコフの「証言」を100%真実だと主張しているテミルカーノフの演奏が、ノウテンキな爆演なのも演奏の面白さですね。
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