その2 / 第4楽章の謎

今回は第4楽章の不可解な二つの点について、具体的に考えてみようと思います。

その1:コーダ部分の速度表示のTempo=188という猛烈な速さの表示。

実際にこの速さで演奏した演奏は、私が聴いたかぎりではありません。
全音から出ているスコアには、解説者の注釈として、この部分はTempo=134の誤りではないかとわざわざ書いてあるほどです。
しかし134だとしてもかなり早いですね。
このテンポに近いのは、バーンスタイン、ロジンスキーなどアメリカ系の指揮者たちで、このコーダの早いテンポに楽章全体のバランスを合わせるためでしょうか、この指揮者たちの演奏は、第4楽章全体が冒頭からかなり早いテンポになっています。

他には、♪=184(Tempo=92)の誤りだという説もあり、ロシアの出版譜でこのような表示となっている出版譜があるのだそうです。ロシア系の指揮者の多くは、これに近いテンポの演奏です。

さて作曲者が実際に考えていたのはどのテンポなのでしょうか。

この部分はかねてから大きな謎として、いろいろな指揮者たちが試行錯誤してきた部分なのですが、「レコード芸術」1998年10月、11月号に、ムラヴィンスキーが実際に使用し、初演時に作曲者と細部を煮詰めて行った部分の書き込みのあるスコア(作曲者の自筆初稿の筆写譜)写真と、ムラヴィンスキー夫人(レニングラードフィルの元首席フルート奏者)の談話が、音楽学者の金子建志さんのコメントとともに紹介されていました。

夫人によると、コーダのテンポはTempo=88が正しく、出版譜の188は誤りである。
そもそもメトロノーム自体にそのような表示がなく、ムラヴィンスキー自身も88で演奏していた。またわざわざ♪=184というような、不自然な標記をショスタコーヴィチがするはずもないとも、述べています。

ムラヴィンスキーの使用していたスコアは、はっきりとTempo=88の表示です。

その2:第4楽章284小節目の弦楽器の音型

       

これは、他の演奏と聴き比べるとはっきり違います。

ムラヴィンスキー以外ではストコフスキー&フィラデルフィア管のソ連国外初録音(1939年録音)がムラヴィンスキーと同じ音型で演奏させている唯一の例なのだそうです。
ムラヴィンスキー使用の自筆譜の筆写譜の写真を見るとファラ♭であり、ムラヴィンスキーに献呈されたラ♭ドとなっているムラヴィンスキー所有の出版譜には、この部分にはムラヴィンスキー自身の×マークが青エンピツで記入されていて、ムラヴィンスキーが特に意識してこの部分を演奏していたことが想像されます。

夫人の話によると、ムラヴィンスキーはスコアに疑問が生じると必ずショスタコーヴィチ自身に問い合わせ、演奏の際は可能なかぎり作曲者が立ち会ったということです。
また初演時のムラヴィンスキーの書き込みの大部分は、1939年の出版譜に反映されているのだそうです。
以上のことから、ショスタコーヴィッチの交響曲第5番は、作曲者とムラヴィンスキーの共同作業によって現在の形が出来上がっていったことがわかります。

しかし、出版譜と自筆譜の間に明らかな違い(誤り?)があるのに、なぜショスタコーヴィチが出版譜を修正せず放置しておいたのでしょうか。
考えてみれば、不思議なことです。

(2000.12.12)

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