その16 / アメリカで活躍した指揮者たち(4)
ミトロプーロス、ゴルシュマン
ここで再びアメリカの指揮者です。今回は主に50年代に活躍した二人の指揮者のタコ5。

ウラディミール・ゴルシュマン(1893〜1972)

パリ生まれのロシア系指揮者。パリで活躍の後アメリカに渡り1931年から セントルイス響の常任指揮者を25年勤めた。ゴルシュマンといえば、かつて国内盤で キングから「新世界」などの通俗名曲が千円の廉価LPでかなりの数が出ていましたが、 これといった印象は残っていません。むしろモノラル期のセントルイス響との録音良いものがありました。 ショスタコーヴィッチの第5番は1953年のCDが出ています。 全体的に楽天的な映画音楽調のノリ、オケの響きもかなりかなり軽めでアンサンブルも ラフです。カラフルなフィナーレはショスタコーヴィッチというよりもハチャトウリアン風。 50年代当時のアメリカで、ショスタコーヴィッチがどのように受け入れられていたかの典型的な演奏。

ディミトリ・ミトロプーロス(1896〜1960)

ギリシャ生まれの大指揮者。生家は、ギリシャ正教の僧侶の名門であった。 自作のオペラがサン・サーンスに認められ、ブゾーニに師事、耳の化物と言われ、 スコアが複雑であればあるほど完璧に暗譜してしまったいう。 ベルリンフィルに客演した際、直前に急病となったピアニストの代わりに、独奏も兼ねて、難曲プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を指揮して大成功を収めたエピソードが残っています。
1937年からミネアポリス響(現ミネソタ響)、1949年からニューヨークフィルの音楽監督。 マーラーの交響曲第3番のリハーサル中に心臓発作で劇的な死をとげました。
録音はニューヨークフィルとの50年代はじめのものが残っています。 これはムラヴィンスキーとは全く異なるスタイルで、曲の本質を描き出した驚異的な名演奏です。 冷たく禁欲的なまでの厳しさが演奏全体を支配しています。 録音された年を考えれば、このようなアプローチの演奏がアメリカでされたこと自体が驚きです。 大地を深く抉るような第一楽章の一音からして、尋常でない気配です。 第2楽章の第1拍目の強烈なアクセント、第3楽章の深い井戸の中を覗きみるような恐怖感。 フィナーレは遅いテンポで始め、何かに急き立てられるように次第に加速、コーダも早いテンポで終わりますが、オケの響きそのものが結晶化しているので軽薄な印象は全く受けません。 このような名演がなぜか未CD化(LPからコピーした非合法CDはありますが)。

(2001.5.1)

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