その11 / ロシアの指揮者たち(2) スヴェトラーノフ、ロジェストヴェンスキー
今回は現役で活躍しているロシアの代表的な指揮者二人によるタコ5です。
エフゲニー・スヴェトラーノフ(1928〜)はモスクワ生まれ、1965年からソビエト国立響(現ロシア国立響)の音楽監督として、現在最もロシア的な指揮者として度々の来日でお馴染みとなっています。 豪快で野性的、金管を嚠喨と響かせたその演奏には独特の魅力があります。 ショスタコ第5番はソビエト国立響(現ロシア国立響)を振った録音で1975年と1996年の録音があります。 1975年盤は、ムラヴィンスキーの1954年の演奏をお手本にしたような演奏ですが、比較的ソフトフォーカスの録音のためか、ピリッとした緊張感には欠けています。 楽譜に書かれたことは過不足なく鳴っているのですが、どこか物足りない。 スヴェトラーノフの演奏は重厚で羽目を外したパワフルな演奏に独特の魅力があるのですが、この録音は深い表現を狙って中途半端な結果となり失敗したような印象です。 ただ第1楽章の展開部の始まりではベースとチェロにバルトークピチカートで演奏させ、バッチーン、バチーンとした音で面白い効果をあげていました。 1996年盤は、ロシア国立響の充実したアンサンブルと、よりツボにはまったテンポ設定で堂々とした名演となりました。曲全体を支配する部厚い低音も魅力的。 内声部を強調させ遅いテンポでロマンチックに歌い上げた第3楽章も自然な説得力があります。第1楽章のバルトークピチカートは今回採用せず。 第4楽章は最初遅く始まりますが、徐々にスピードアップ、コーダは粘りに粘った遅いテンポといった典型的なロシアタイプで、壮大なクライマックスもお手のものといった感じです。現在最もロシアのイメージに近い演奏と言って良いと思いますが、底流には曲に対するロマンチックな捉え方が支配しているようです。
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(1931〜)。 このモスクワ生まれモスクワ育ちの指揮者は母が歌手、父も指揮者(アノーソフ)といった音楽一家で、1961年からモスクワ放送響の首席指揮者。1972年には来日してショスタコーヴィッチの交響曲第15番の国外初演を行っています。 このころのロジェストヴェンスキーは、才気活発な天才的な閃きを見せた名指揮者といった印象があり、当時の私はショスタコーヴィッチの交響曲第15番やチャイコフスキーの交響曲第5番の演奏をテレビで見て、色彩感と力強さに富んだ演奏に、非常に感動しました。バレリーナのような独特の指揮振りも印象的でした。 思えばロジェストヴェンスキーにとってこの頃が一番良い時期で、その後彼のために ソビエト政府が優秀な演奏者を集めて特別に組織したといわれるソビエト文化省響(その後モスクワシンフォニックカペレ、今もあるのかなぁ?)の録音や読売日響(名誉指揮者)の演奏を聴くと、かつての生き生きとした音楽造りが後退してしまったように思えます。
ショスタコーヴィッチの交響曲は、そのソビエト文化省響を振った全集録音があります。曲全体を支配する悲劇的な色合いは第3楽章に顕著で、さながら追悼曲のようです。(ヴォルコフの証言の影響?)優しく語りかけるような独特の節回しとリズム感の良さ、各楽器の絡み合いの生かし方の上手さなどはこの指揮者天性のもので、特に初めの2つの楽章で良い効果を上げています。 この全集録音が発売された時の評論の多くは、オケが素晴らしいの一色だったように記憶していますが、冷静に聴いてみると、オケのメンバーに明らかに技量のバラつきがあり、一部の演奏者がかなり足を引っ張っています。 第4楽章ではトランペットが音をはずしたままの個所があったりと、スタジオ録音にもかかわらず編集に粗雑な部分があります。特にこの楽章の出来は箱庭的で、ロジェストヴェンスキーの実力ならばより以上の演奏ができるはず。再録音に期待したいと思います。
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