その12 / ロシアの指揮者たち(3) フェドセーエフ、テミルカーノフとマキシム・ショスタコーヴィッチ
前回に引き続き現役のロシアの中堅指揮者3人によるタコ5です。
ウラディミール・フェドセーエフ(1932〜)
レニングラード生まれ、初め国立民族楽器オーケストラの指揮者となり、その後モスクワ音楽院で学び直した後、ロジェストヴェンスキーの後任として1974年からモスクワ放送響の音楽監督となりました。 フェドセーエフの音楽は、熱気に溢れた力強さの中にも知的で洗練されたセンスの光る ものです。ショスタコ第5番は主兵モスクワ放送響を振り、1975年と1991年、1997年の録音があります。今回は1991年盤を聴いてみました。 この録音がおこなわれた1991年8月19日は、奇しくもソビエトクーデターの当日で、録音終了直後に録音場所のモスクワ放送局のスタジオに兵士が突入したのだそうです。 演奏は、フレーズのひとつひとつに余韻を持たせたオーソドックスな演奏ですが、このコンビにしては平凡な出来。クーデターの影響でしょうか、今一つ注意力が散漫です。解釈そのものはごく普通のロシアタイプですが、第4楽章のコーダがバーンスタインと同じく早いテンポ、しかも最後の音までインテンポを崩さずそのまま唐突に終わります。これには驚きました。
ユーリ・テミルカーノフ(1938〜)
コーカサス生まれ、1969年から第2レニングラードフィル(いわゆるムラヴィンスキーの率いていたオケとは別)の首席指揮者。ムラヴィンスキーの死後1988年からレニングラードフィルの首席指揮者となりました。 テミルカーノフの演奏は、かつてはテンポルバートを多用したいささかアクの強い土臭いロシア的な演奏が身上でしたが、ムラヴィンスキーの死後は、比較的普遍的(悪く言えば常識的)な芸風に変わりました。 テミルカーノフには、1981年ソビエト国立響とのライヴと1995年のサンクトペテルブルクフィル(旧レニングラードフィル)のスタジオ録音があります。 1981年のライヴを聴いてみました。これは我を忘れた熱狂金管絶叫型の演奏でした。 オケが完全に暴走、所々で飛び出しと音のハズレ続出の破滅型演奏。 ただ聴いていて面白いのは事実で、この曲の大衆的な一面を強調した演奏と言えます。 遅いテンポの個所は極端に遅く、逆に早い部分は極端に早くといったいささかクサイ 演奏でした。第2楽章の小太鼓がズンドコ、ズンドコには思わず苦笑。
マキシム・ショスタコーヴィッチ(1938〜)
ショスタコーヴィッチの息子でモスクワ生まれ、初めはピアニストを目指し、父と共演した録音も残されています。1981年には西側に亡命。日本に来たこともありますが、これといって個性を感じさせる指揮者ではなかったように記憶しています。 録音は、1970年のソビエト国立響、1990年のロンドン響のスタジオ録音と1996年プラハ響とのライヴ録音があって、他にロンドン響とのライヴのLDが出ていました。この中の第1回めソビエト国立響との録音を聴いてみました。 おそらく父ショスタコーヴィッチ立会いの下でのこの録音は、じっくりとしたテンポの極めて楽譜に忠実な演奏で、この丁寧な歌い口には好感を持てます。 全盛期のソビエト国立響の腕も素晴らしく、特にトランペットは超絶的な演奏を聴かせます。この曲の70年代でのスタンダードと言っても良い模範的な演奏。 第1楽章の小太鼓でのミリタリー調の連打と第4楽章のコーダーの直前で、極端にテンポを速める解釈はこの演奏での数少ない個性的な部分でした。
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