その10 / ロシアの指揮者たち(1)
アルヴィド・ヤンソンスとコンドラシン
アルヴィド・ヤンソンス(1914〜1984)はラトヴィア共和国で生まれた名指揮者。
1952年からムラヴィンスキーと共にレニングラードフィルの常任指揮者を勤めました。
オーケストラトレーナーとして超一流で、東京交響楽団に客演をした時に「鉛を金に変えた」とまで言われたエピソードがあります。
レニングラードフィルの高性能もヤンソンスに負う面がかなり大きいと思います。
ヤンソンスといえば今や息子のマリスが有名で、父の方は今ではすっかり忘れ去られて録音もライヴ録音が数枚出ているのみです。
ショスタコ第5番はレニングラードフィルを振ったライヴがイタリアの海賊レーベルから出ていましたが、今回は死の1ヶ月前、1984年10月7日東ベルリンのシャウシュピールハウスで名門ドレスデン国立歌劇場管弦楽団を振ったライヴを聴いてみました。
これは恰幅の良い男性的な力強さに満ちた正統的な名演です。
テンポは終始遅めですが、地の底から湧きあがって来る迫力はこの指揮者独特のもので、両端楽章のクライマックスも見事に決まっています。
またロシアの指揮者に良くみられるような力で押しまくるといった面はなくて、洗練された叙情も感じさせました。

キリル・コンドラシン(1914〜1981)、このモスクワ生まれモスクワ育ちの名指揮者は史上初のショスタコーヴィッチ交響曲全集録音という快挙を成し遂げています。
ボリショイ劇場の指揮者の後、モスクワフィルの常任指揮者、このオケの水準を飛躍的に上げています。
78年には西側に亡命、亡命後はウィーンフィルなどを振り数多くの名盤を残しています。コンドラシンの音楽は、知的でいて強固な構成力に裏打ちされたものでした。81年テンシュテットの代役として北ドイツ放送響を振りマーラーの「巨人」を演奏したその晩に急逝しました。
コンドラシンのこの演奏は典型的なロシアのショスタコでした。
チャイコフスキーの交響曲の延長上に曲を位置付けた演奏で、ロマンチックさと土俗的な土臭さを見せた演奏でした。
第1楽章のクライマックスでは突然の猛烈なスピードアップ、金管楽器群の楽譜にも独自の手を加え凄まじい迫力を演出しています。第2楽章では主題の直前で極端なアクセントを付け面白い効果を上げていました。
このメリハリを極端につけた演奏の印象は、テンポの設定も含め、ムラヴィンスキーの66年録音と非常によく似ています。

(2001.3.19)

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