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「第九を聴く」41 フランス語による・・・・クーゼヴィツキー
セルゲイ・クーゼヴィツキー(1874〜1951)
ロシア生まれ、コントラバス奏者としては歴史的な名手。
その後指揮者に転じロシア革命後はパリで活躍。1924年から1950年までボストン交響楽団の常任指揮者。
クーゼヴィツキーは「展覧会の絵」の編曲をラヴェルに委嘱したことが、あまりにも有名ですが、ラヴェルやドビュッシー、オネゲル、バルトークなど20世紀初頭の大作曲家たちと直接親交があり、数々の名作を世に送り出した功績ははかり知れないものがあります。

活動の最盛期が第二次世界大戦中のアメリカであり、数多くの録音も1950年でストップしているため、わが国ではクーゼヴィツキーについてはピアノが弾けない、指揮テクニックがないなどマイナスのイメージがクローズアップされていました。
最近クーゼヴィツキーの録音をまとめて聴いて見ましたが、チャイコフスキーやラフマニノフといったお国物以外でも、ラヴェルやブラームスにも重厚で振幅の大きな音作りのなかに繊細さも感じられて、やはり大指揮者であったことが実感できました。
特に再晩年のシベリウスの交響曲第2番は、この曲最高の名演だと思います。

クーヴィツキーの第九には二つの録音があります。

・ボストン交響楽団        1947年8月    スタジオ録音
・フランス国立放送局管弦楽団   1950年7月26日  ライヴ録音   

今回は晩年のライヴを聴いて見ました。

・フランス国立放送局管弦楽団、合唱団
S)ミショー   A)ミシェル
T)ジョアネット Bs)キャムボン
(1950年7月26日 パリ ライヴ録音)

クーゼヴィツキー晩年のライヴ録音、今のところフランス語歌唱による唯一の録音。
どうやら放送用のエアチェックで、テープでなくアセテート盤に録音されているもののCD化ディスク。ラジオの混信のような人の声がかすかに聞こえたりします。音とびも散見される怪しげな盤。

フランスのオケから暗めの重厚な響きを引き出し、オケを完全に自分の音色に染めてしまった稀有の演奏でした。全体的に早いテンポで、通常16分前後の演奏が多い第3楽章も13分56秒、それでも不自然さを感じさせないのはさすがの貫禄だと思います。
しかし前半は見事な演奏ですが、再晩年のクーゼヴィツキーの統率力が第4楽章では息切れしてしまったようで、後半はかなり荒れています。

遅くゆったりと始まる第1楽章は60小節めあたりから粘りつつ猛烈な加速、熱い勢いの中に力感溢れる巨大な音楽を創出していました。第2楽章の第2主題は、前半は譜面に忠実ながら最後に再現される時にはトランペットを追加。
さらりと流した第3楽章の後でのフランス語による第4楽章は、フランス語が全く不案内なのでどこまで忠実に訳されているのかは判りませんが、フロイデ!がほとんどファー!と言っているように聞こえます。
冒頭のファンファーレはトランペット補筆、第1楽章から第3楽章の主題を否定するチェロとベースの表情が実に雄弁。早めに歌う歓喜の主題も小気味の良いものです。
極端に遅いテノールの歌うマーチあたりから驚きの解釈が続出。
テノールソロと男声合唱が一段落した後のオケ部分では、テンポを加速しつつ第1ヴァイオリンに1オクターヴ上げさせ、まるで嵐のような凄まじさを演出しています。
オケは必死に付いていますがアンサンブルは大荒れ。
仰天したのは、歓喜の主題が合唱で再現する部分のうち570小節から580小節までの10小節を大胆にカット。フランス語訳のためだからでしょうか?
ただ、これはあまりにも不自然なカットなので、この部分だけ録音が飛んでしまったのかもしれません。
その後二重フーガのトランペットの間延びした響きは、なんともまぬけな印象。
どうやら後半で、演奏者全体の緊張の糸がプッツリ切れてしまったようです。
ソリストによる四重唱では、最後の伸ばしでソプラノの音程が見事に急降下。これほどヒドイのは、プロの歌手では珍しいと思います。
なお曲の最後の3小節は、木管の上昇音形にトランペットを追加していました。
(2003.11.22)
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