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「第九を聴く」34 近衛版・・・ 近衛秀麿
近衛秀麿(1898〜1973)は五摂家の筆頭近衛家の次男として東京生まれ、兄は首相の近衛文麿。
ベルリンフィルといくつかの録音を残し、創設まもないNBC響の指揮者陣にも名を連ねていました。戦争中はドイツ占領下のパリで、クラリネットのランスロなど超一流の演奏者を集めたオーケストラ「コンセール・コノエ」を創設するなど、日本人初の国際的な指揮者と言えます。
マーラーの紹介者としても名高く、日本で始めてマーラーを演奏し、交響曲第4番の世界初録音も残しています。

近衛秀麿はどこかのんびりした悠々たる芸風の持ち主で、「おやかた」「フルトメンクラウ」と親しみをこめた愛称で楽員から呼ばれていました。国内では、N響の前身である新交響楽団や東京交響楽団の前身である東宝交響楽団、ABC交響楽団などを創設しています。
近衛秀麿はいくつかの編曲作品を残していて、「越天楽」はストコフスキーの録音もあり、「展覧会の絵」やシューベルトの弦楽五重奏曲のオーケストラ編曲もあります。

近衛がベートーヴェンやモーツァルトなどの作品を演奏する時には、マーラーのようにその都度楽譜に手を加えるのが常でした。それらは近衛版といわれ、「英雄」や「第九」にチューバを加えるなど、かなり過激な編曲となっています。

第九は、幸いにして近衛自身の演奏が録音として残っています。

・読売日本交響楽団、二期会合唱団
S)渡辺洋子     A)長野羊奈子
T)藤沼昭彦     Br)栗林義信
(1968年 9月6 12、13日 東京 厚生年金会館 スタジオ録音)

低音弦楽器のパートにトロンボーンやチューバ、木管楽器にホルンパートを重ねたまるでワーグナーのような厚い響きのロマンティックな演奏でした。
ストコフスキーのようにオーケストラの特性を知り尽くしたよく鳴る演奏で、第1楽章の最大の山場や第4楽章の終盤では、譜面にないチューバからピッコロまでも動員、ワーグナーの楽劇のような壮大音楽を聞かせます。壮麗な第4楽章の二重フーガはなかなかの迫力でした。
第4楽章の最初の部分、第1楽章から第3楽章の主題が次々と否定されていく中、否定の部分のオーケストレーションを段階的に厚くしていく芸の細かさも見せ、第4楽章マーチの部分テノールソロの後のオーケストラのみの部分では、ベースとチェロのパートにチューバを重ね、歓喜の主題が再現する部分の直前にティンパニのクレシェンドを追加しています。中でもゆったりと歌った第3楽章は印象に残りました。

第4楽章始めの、チェロとバスのレチタティーヴにヴィオラを重ねるなど、マーラー版と共通する部分もかなりありますが、マーラー版が部分的には編成を刈り込んで透明な響きを得てオーケストレーションの厚みと強弱のコントラストを明確にしていたのに対して、近衛版の響きは終始厚めのっぺりとした演奏です。

また厚塗りのオーケストレーションが、各楽器の個性をお互いに殺してしまっているのも事実で、ベートーヴェンの厳しさや精神的な深さというものは、あまり伝わってきません。当時の読響の反応も無個性。

同じ近衛版の演奏でも、ほのぼのとしたロマンティックさが曲想とうまく合った「田園」や作曲者にも絶賛されたという壮麗なシベリウスの「交響曲第2番」は名演でしたが、この「第九」は必ずしも成功した例とはいえないようです。
(2003.09.04)
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