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「第九を聴く」20 ハンガリー系の指揮者たち ライナーとフリッチャイ
これから数回は第2次世界大戦後から60年代を中心に活躍した指揮者たちの演奏を
国別に紹介していきます。まずは数多くの名指揮者を輩出したハンガリー系の指揮者たちから。

フリッツ・ライナー(1888〜1963)
ブタペスト生まれ、リュプヤナ歌劇場、ドレスデン国立歌劇場の指揮者を経て、アメリカへ渡り、シンシナティ響、ピッツバーグ響の音楽監督。1953年にシカゴ響の音楽監督となり、このオケを世界最高の水準に引き上げています。トレーニングの厳しいのはもはや伝説的で、棒の動きが極端に小さく、練習中に双眼鏡で指揮棒の動きを観察していた団員のクビを切ったというエピソードも残されています。どうやら冗談の通じない人だったらしいです。
出てくる音楽はトスカニーニの流れを組む、インテンポで虚飾を廃した無駄のない強靭なもの。史上最速の「運命」の録音は、オケの凄さもあって、未だにこの曲のトップに位置する名演です。

  シカゴ交響楽団、合唱団、
S:カーティン、A:コプレフ、T:マッカラム、Bs:グラム
  (1961年)
内に強靭なエネルギーを秘めた筋肉質の性格無比な演奏です。オケの精度の高さもあって豪快な名演となりました。曲全体はインテンポの速めの演奏ですが、第1楽章の160小節目や第4楽章vor Gottの直前の急ブレーキ、第4楽章のマーチが極端に遅いなど、一筋縄では行かないライナー独自の解釈の見られた演奏です。重くはないが存在感のあるバスパートの動きも実に雄弁で、これが第4楽章で大きな威力を発揮しています。
合唱団は強奏部分の迫力、弱音部分も充分にコントロールが効いていて、見事な歌唱だと思います。バリトンソロのテーネーはトスカニーニと同じくG−Fに変えています。ただこの歌手はいつも第1拍目の音がいつも長めで、幾分不自然さを感じました。第4楽章は冒頭以下慣例的な改変はありますが、第2楽章の第2主題は譜面に忠実でした。


フェレンツ・フリッチャイ(1914〜1963)
ブタペスト生まれでバルトークやコダーイに師事、15才で指揮デビュー、ブタペスト国立歌劇場の指揮者の後、創設間もないベルリン放送響の音楽監督となり、このオケをベルリンフィルと並ぶ水準に引き上げました。その後ヒューストン響の音楽監督を経て、バイエルン国立歌劇場の音楽監督のかたわらベルリン・ドイツオペラの音楽監督も兼任といった多忙な日々を送っていましたが、白血病に倒れ48才の若さで没してしまいました。
鋭敏なリズム感と柔軟なテンポ運びを兼ね備えたフリッチャイの音楽は、その晩年にはスケールの大きさと異様なまでの緊張感も備わり、フルトヴェングラーにも通じる凄みさえ感じさせる録音を残しています。特に史上最も遅い「運命」などは、尋常でない雰囲気が漂っていました。

   ベルリンフィル、ベルリン聖ヘトヴィッヒ教会合唱団、
  S:ゼーフリート、A:フォレスター、T:ヘフリガー、
  Bs:フィッシャー・ディースカウ
    (1957年 12月、1958年 1月)
20世紀を代表する名歌手の一人、フィッシャー・ディースカウの第九が聴ける唯一の録音として有名な演奏。事実バリトンソロの知的でコントロールの行き届いた歌唱は素晴らしい聴き物です。他の歌手も粒揃いで、聴き劣りは全くしません。合唱も重厚な出来ですが、フリッチャイの指揮が、終楽章になると急に小さくまとまってしまった印象になってしまうのは、ソリスト達に位負けしてしまったのでしょうか。他の楽章がスケールの大きい壮大な演奏なだけに残念な気がします。中ではヒューマンな優しさの漂う第3楽章が、悲壮感すら感じさせる透明な美しさに満ちた素晴らしい演奏でした。
(2001.11.12)
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