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「ラプソディー・イン・ブルー」を聴く6・・・ホワイトマン
今回は、ポール・ホワイトマンの演奏を紹介します。
ポール・ホワイトマン(1890〜1967)2メートルの身長、体重140キロの巨漢で鼻の下には八の字ひげ、どうも胡散臭い雰囲気です。
デンバー交響楽団の指揮者だった父親から、幼い頃からヴァイオリンとヴィオラの教育を受け、デンバー交響楽団のヴィオラ奏者となりました。もともと放蕩歴があったために父親に勘当され、その後サンフランシスコに出てサンフランシスコ交響楽団のヴィオラ奏者に採用されたりしています。
やがて当時人気上昇中のジャズの世界に転向、サンフランシスコでピンギートールというバンジョー弾きが率いていたジャズバンドに入団、たちまちそのバンドのリーダーとなりました。映画にも出演し、「キング・オブ・ジャズ」と自称するようになります。
事実全盛期のアメリカでの人気は大変なものがあったようで、歌手のビング・グロスビーもホワイトマン・オーケストラの専属歌手として出発しています。
しかし第二次世界大戦後は急速に忘れられ、地方の放送局のアナウンサーとして晩年を過ごし、ペンシルバニアの田舎町で世を去っています。

ホワイトマンは「ラプソディー・イン・ブルー」のいわば生みの親だけあって、録音はライヴも含めてかなりの数があるようです。
今回は既に紹介したガーシュインの自演盤とは別の二つの演奏を紹介します。

・ポール・ホワイトマンオーケストラ
 ピアノ:ロイ・バグリー
(1949年ころの録音 DECCA DL8024 )
アメリカデッカによる「ガーシュイン名曲集」オリジナルLP。他にセカンドラプソディーやキューバ序曲といったクラシカルな曲が入っていますが、当初はポピュラー規格で発売されたようです。
早いテンポですいすいと進み、1924年と異なりずいぶんと都会的で洗練された演奏です。冒頭のクラリネットソロもすっきり系。
この頃になると、ホワイトマンのスタイルのビッグバンドは凋落の兆しが現れた時期で、心なしか元気がないような気もします。
しかし、あくのないこのスタイリッシュな雰囲気も、ジャズのスピリットからは離れているとはいえ悪くないと思います。

これはオリジナルのビッグバンド版による演奏で、練習番号14から18までと、20から26まで、39に1924年盤と全く同じカットがあります。
1949年といえば長時間LPが出現していた時期で、収録時間の制約を受けないテープ録音だと思います。その点このカットは不可解でした。
ホワイトマンの手元には、1924年録音時のカット版の譜面しかなかったのではないかと想像してしまいます。

・交響楽団(実体不明)*
 ピアノ:レナード・ペナリオ
(1952年ころ スタジオ録音 仏パテ TRI33174)
ホワイトマンが珍しくも大編成のオーケストラを振った録音で、グローフェの1942年版による演奏。EMI系フランスパテのトリアノンシリーズのLP。オリジナルはモノラルですが、擬似ステレオ化されています。
オケの実体は不明ですが、当時キャピトル専属だったペナリオを起用していることをみると、ハリウッドあたりの腕利きのスタジオミュージシャンを集めたオケかもしれません。

DECCA盤からさほど録音年の隔たりはありませんが、聴いた印象は全く異なりました。重厚でグラマラスな演奏で、冒頭のクラリネットソロからして上下のアドリブを入れています。アンダンティーノの身を摺り寄せてくるようなムーディーな歌わせ方は、ちょっとやりすぎのようにも思えます。ホワイトマン自身大編成のオケの扱いが不慣れなためか、自らのビッグバンドを振った時のリズムの冴えがここでは見られませんでした。
しかしテンポの自在なユレが独特の説得力を感じさせるのも事実で、慣れた者の強みでしょうか、曲が進むにつれてオケが次第に鳴りきり、ある種の凄味まで感じられてきました。
曲の各所で活躍するサックスの扱いも見事、ペナリオの輝かしいピアノとオケの素晴らしい技量で、聴いた印象は強烈なものがあります。

なお、同じLPには「パリのアメリカ人」もカップリングされていますが、こちらはオケがバラバラで騒々しいだけの悲惨な出来。

*このオケの実体は、Carol Ojaのディスコグラフィーに、
 ポール・ホワイトマン楽団と記載されているとの情報を
 谷口昭弘さんから教えていただきました。
(2004.02.08)
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