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「ラプソディー・イン・ブルー」を聴く3・・・クラリネットのグリッサンドと版の話
今回は、「ラプソディー・イン・ブルー」についてのクラリネットのグリッサンドにまつわるエピソードと版の話を、思いつくまま書いてみました。

作曲直後、グローフェが手にしたガーシュインの手稿には楽器の指定がありましたが、
グローフェが書いたオーケストレーション譜は、楽器の指定ではなく、実際に演奏する
演奏者の名前が書いてありました。これは一人の奏者がいくつかの楽器を持ち替えで吹く意味合いと同時に、ホワイトマンオーケストラの専属アレンジャーであったグローフェが、メンバーの長所と短所を知り尽くした特別の編曲であったことを伺わせます。

中でも印象的な冒頭のクラリネットのグリッサンドですが、当初ガーシュインの手稿にはスラーだけしか書いていなかったそうです。ところが本番直前の休憩時間にグリッサンドを得意としていたクラリネット奏者のロス・ゴーマンが、冗談半分にグリッサンドをつけて吹いているのをガーシュインが気に入り、あの特徴的な冒頭が生まれたと言われています。
また、当日のコンサートのプログラム第1曲目に、当時のデキシーランドジャズの著名な曲であった「貸し馬屋ブルース」という曲がありました。
この中の馬のいななきを模した部分が、このクラリネットのグリッサンドの動きに極めて似たものがあるのだそうです。(この部分については 末延芳晴 著「ラプソディー・イン・ブルー」(平凡社)に興味深い指摘があります。)
 
次に作曲からグローフェのオケ編曲版までの流れをまとめていました。

・1924年1月 作曲 2台のピアノのために書かれ、グロ−フェがホワイトマンの
            ジャズオーケストラのために編曲
            (手稿はワシントン国会図書館蔵)
・1924年2月 8日 初演
・1924年6月10日 初録音、ガーシュインのピアノ、
             ポール・ホワイトマン指揮のホワイトマンオーケストラ
             1枚のSP盤に収めるためカット有り
・1926年      グローフェによる2度目の編曲(詳細不明)
・1927年      ピアノ独奏版出版
             ガーシュイン独奏によるピアノロール(自動ピアノ)の
             ための録音(ピアノ独奏版 全曲録音、一部編集有り)
・1927年4月21日 初演版によるガーシュイン再録音、オケはホワイトマン
             オーケストラ、指揮は、ナサニエル・シルクレット
             (こちらもカット有り)
・1928年       ピアノ独奏による抜粋録音。
・年代不詳       グローフェ3度目の編曲、コンサートバンド(吹奏楽)のた
           めのもの。
・1937年7月11日  脳腫瘍のためガーシュイン死去 38才

・1942年       グローフェによるピアノとシンフォニーオーケストラの
              ための編曲。(出版され、最も一般的な版)
・1942年11月   トスカニーニ指揮NBC交響楽団による1942年版録音。
             ピアノはアール・ワイルド、クラリネットはベニー・グッド                       マン(この版による初録音か?)

「初演版の編成」
 木管奏者3人(クラリネット、サックス、オーボエ、ファゴット、フルート持ち替え)トランペット2、ホルン2、トロンボーン2、チューバ、バンジョー、チェレスタ、
ピアノ(独奏とは別)、パーカションズ、ヴァイオリン8、

「1942年版の編成」
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、バス・クラリネット、ファゴット2、
サックス3、ホルン3、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、バンジョー、
ティンパニ、シンバル、大太鼓、小太鼓、トライアングル、ベル、弦5部

グローフェによる初演版は、当時のジャズオーケストラの編成としても、比較的大きな規模で書かれていました。
ガーシュイン自身はこの編曲に必ずしも満足していたわけではなく、1924年の手稿にガーシュインがわざわざ「ジャズバンドとピアノのために」と注釈をつけているように、初演版よりもさらに小編成の、数人のジャズバンドによる編曲をガーシュインが望んでいたふしがあります。
このような結果になったのは、作曲の始めから初演まで3週間という短期間の中で、
オーケストレーションに不慣れだったガーシュインとしては、曲を仕上げるのに精一杯で、グローフェの編曲に対して自分の意見を通すことができなかったのではないかと思います。

結局、初演当日も未完成の空白の部分が多く残り、未完成の部分は、ガーシュインの即興によってしのいだという話も伝わっています。
(このガーシュインの即興演奏が、また圧倒的な素晴らしさだったようです。)

まして現在最も演奏されている1942年版は、ガーシュインの死後編曲されたものです。
そのような意味からも、フルオーケストラのための1942年版の編曲は、ガーシュインの意思からかけ離れているように思います。
(2004.01.02)
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