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「惑星」を聴く16・・・マークとアルメイダ

今回はスイスの名指揮者ペーター・マークとポルトガルの指揮者アルメイダの対照的な「惑星」

「ペーター・マーク(1919〜2001)」
スイス生まれ、フルトヴェングラー、アンセルメに師事。若い頃はロンドン響を振り、モーツァルトやメンデルスゾーンで爽やかな名演を聴かせ、メジャーレーベルのデッカの中心的な存在になりかけましたが、突然仏門に入り、チベットで仏教の修行に入ったという変り種。指揮者復帰後は唯我独尊、スイスのベルン交響楽団、パドヴァのベネト管弦楽団などのマイナーなオケを渡り歩きましたが、豊かな芸術性にますます磨きがかかり、残された録音は、駄作のない滋味溢れる名演ばかりとなりました。
かつては東京都交響楽団の指揮者陣にも名を連ね、私もマークが指揮する時は極力上京し聴きに行きました。

・トリノ イタリア放送管弦楽団
(1980年 ライヴ録音)
ANFから一枚500円ほどで出回っていた正体不明の駅売りCD海賊盤ライヴ。
このシリーズは、録音が悪かったり表記の演奏者と実体が異なっていたりしていて問題もありましたが、この「惑星」はスケールの大きな内容の深い非常な名演です。
悠然としたテンポ運びの中に巨匠の風格漂う演奏で、フォルテシモ部分も芯のある巨大で壮絶な響きを実現しています。
特にボレロのように、上へ上へとひたすら音量が上昇していく“火星"が凄まじく、この一曲だけでひとつの小宇宙を形成しています。終結部のフェルマータはマゼール以上の長さ。
軽妙で爽やかな“水星"、悲しみさえも漂わせる詩情豊かな歌わせかたが光る“金星"など、ボールトとは全く異なったタイプでありながら、奥の深い表現を獲得している実に素晴らしい演奏だと思います。ライヴではアンサンブルのラフさを露呈しがちなイタリアのオケですが、マークの隅々まで行き渡った統率力で、歌心溢れる見事な演奏を展開しています。

「アントニオ・デ・アルメイダ(1928〜)」
パリ生まれ。父はポルトガル人で10代でアルゼンチンに移住、アメリカでクーゼヴィツキー、セルに師事。1962年シュトゥットガルトフィル音楽監督。その後ニース歌劇場音楽監督。録音は比較的多く、ハイドンの交響曲全集のプロジェクトもありましたが、数枚で中断。

・モンテカルロ歌劇場管弦楽団、合唱団
(70年代後半の録音。)
オケ、録音ともに乱暴なだけの全くラフな演奏、おそらく数ある「惑星」の中でも最低ランクの演奏。木管強調型のユニークなバランスでクラリネット、フルートがピーピーとやたらに耳につきます。フォルティシモでの汚い響き、金管の音程もかなり怪しげの完全にやっつけ仕事の「惑星」。最後まで聴き通すのにかなりの努力を要しました。
唯一「天王星」は爆裂気味の演奏が曲想にうまくはまっていて、それなりに楽しむことができましたが、2台のティンパニの掛け合い部分など、テンポを不自然なまでに煽った結果リズムが前のめりに転んで完全に崩壊、聴いていて思わず吹き出してしまいました。
マークの演奏を聴いた後だけに指揮者の格の差というものについて、思わず考えてしまいました。なおバスオーボエは使われず、バスクラを使用していました。


(2002.10.16)
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