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「ローマの松」を聴く8 ハンガリーの指揮者・・・ドラティとライナー
「アンタル・ドラティ(1906~1988)」
ブタペスト生まれ、ハンガリー王立音楽院でバルトークやコダーイに教えを受ける。
ドレスデン国立歌劇場でフリッツ・ブッシュのアシスタントから出発し、その後ミネアポリス響やデトロイト響、ストックホルムフィルなど多くのオーケストラの音楽監督を就任し、膨大な量の録音を残しています。またオーケストラビルダーとして有名で、オケのアンサンブルルにガタがくると、よくお声がかかりさまざまなオーケストラを渡り歩いて、再建に尽くしました。
「ローマの松」はミネアポリス響(現ミネソタ響)の音楽監督時代に2回録音しています。

・ ミネアポリス交響楽団
(1954年ころ ミネアポリス ノースロップオーディトリアム)
マーキュリーのオリンピアンシリーズとして、ワンポイントマイクによる録音の良さが
売りだった音盤ですが、この盤に限っては、残響のない痩せた録音で幾分損をしている印象です。演奏は、引き締まった筋肉質で、「カタコンブの松」など枯れた中にもアルカイックな雰囲気が良く出ていました。ここでのトランペットはミュートをつけていて、録音上の苦心さが伺われます。中でも「アッピア街道の松」の重々しさは異常なほどで、まるで処刑場に曳かれて行く罪人のような歩みです。

・ ミネアポリス交響楽団
(1960年 4月19日 ミネアポリス ノースロップオーディトリアム)
 ステレオ時代に入り再録音となった1枚。解釈はほぼ旧盤と同じで、最初聴いた時に
 同じ演奏かと思ったほどです。さすがにステレオ録音となると艶やかさと潤いが出て、
聴きやすくなりました。「カタコンブの松」で、トランペットソロ後の32分音譜の
雄弁さがうまく生きていて、「ジャニコロの松」の木管楽器の対話もうまく決まってい
ます。「アッピア街道」では、さすがに旧盤よりも早めのテンポをとり、オーソドックスにまとめていましたが、ドラティとしては今一つ印象の薄い演奏でした。

「フリッツ・ライナー(1888~1963)」
ブタペスト生まれ、バルトークに学び、ザクセン宮廷歌劇場の首席指揮者時代に、マーラー、R.シュトラウス、ニキシュの薫陶を受ける。渡米後、シンシナティ交響楽団の常任指揮者となり同時にカーティス音楽院の指揮科教授としてバーンスタインを教えたりしています。その後ピッツバーグ交響楽団、シカゴ交響楽団の音楽監督となり、特にシカゴ響時代は、妥協のないトレーニングで団員に恐れられ、数々の反発を生みましたが、この時代にシカゴ響は世界最高のオーケストラに成長しました。

・ シカゴ交響楽団
(1959年 10月24日 シカゴシンフォニーホール)
オケの輝かしさと際立った合奏力、そしてライナーの柔軟でありながら引き締まった解釈で、この曲最高の名演となりました。
冒頭の「ボルゲーゼ荘の松」からして、いかなる早いテンポでも一糸乱れない余裕のある合奏力は、ただただ唖然とするのみ。フォルティシモでもオケのバランスは完璧で、透明な素晴らしい響きが堪能できます。「カタコンブの松」のベースの雄弁さと「ジャニコロの松」冒頭の弦楽器群がピアニシモのユニゾンで、ベースから順番にすーと自然に消えて行くようなさりげない部分にもオーケストラの優秀さが際立っています。
「アッピア街道の松」の輝かしさは感動的で、緊張感を持続しながら次第に音量を加え、シンバル、ゴングの鳴り物が、ここぞという場所で決める痛快さは比類のないもので、ブラス群の重量感のあるぶ厚い響きにも圧倒されてしまいます。
(2002.11.30)
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