その8 / 初演者ムラヴィンスキーを聴く(2)
1966年のムラヴィンスキーと1973年東京ライヴ
今回はムラヴィンスキーの1966年の演奏とムラヴィンスキーの初来日となった1973年来日公演の演奏を中心に紹介します。

・1966年のレニングラードでのライヴ

幾分早いテンポ強弱のメリハリがはっきりとした演奏でした。
第一楽章の楽譜にないテンポの落とし方、クライマックスにおける猛烈なダッシュなど ムラヴィンスキーにしては幾分外面的な効果を狙った演奏と言えると思います。
金管楽器を過度に強調した録音も、幾分派手な印象を助長しているようです。
ここで注目されるのは第4楽章冒頭のテンポ。
今までの演奏とは異なる急速なテンポで、バーンスタイン、ロジンスキーとほとんど同じ速さです。この10年の間でムラヴィンスキーの解釈に大きな変化があったようです。
以下は勝手な推測ですが、1959年にバーンスタイン、ニューヨークフィルによるモスクワ公演が行われショスタコーヴィッチの第5番も演奏されました。
この場にいたショスタコーヴィッチはバーンスタインの演奏に感激し、終演後舞台に駆け上がったと言われています。東西冷戦の時代、幾分政治的な配慮もあったかもしれませんが、バーンスタインの演奏に作曲者自身が何か啓示を受けムラヴィンスキーになんらかの影響を与えたのかもしれません。

・1973年東京公演

リヒテル来日公演が中止となり代替公演として急遽来日が決まった公演。
飛行機嫌いのムラヴィンスキーが、はるばるシベリア鉄道を使い初来日した時の記念碑的な演奏です。この当時、放送用録音テープやビデオテープは非常に高価で、NHKは一度使ったものを消去して何度も使い回しをしていたそうです。
このムラヴィンスキーの録音も一度FMで放送された後消去されたとされ、失われたと思われていましたが、昨年NHKの倉庫に奇跡的に保存されていた録音テープが発見され、CD化されました。
この当時中学生だった私はテレビとFMでこの演奏を聴きました。テレビで見たムラヴィンスキーの厳しい指揮姿と緊張感に満ちた素晴らしい演奏は今でもはっきりと覚えています。ムラヴィンスキーの解釈もほぼ確立し、当時最盛期を迎えた名人揃いのレニングラードフィルの一糸乱れぬアンサンブルと各楽器のソロは実に見事なもので、第二楽章で弦楽器群が均等な音量とテンポで急速に減衰していく箇所や名手ブヤノフスキーのホルンソロなどは鳥肌が立つような凄さです。曲全体を支配する低音弦の雄弁さも聞き物。
第4楽章第1主題が小太鼓に乗って幾分タメ気味に再現する部分の絶妙なテンポ設定や、壮大なコーダなど実に説得力のある演奏です。
当時テレビで見た時は、張りつめた緊張感に鋭利な刃物のような凄味を感じたのですが、今になってこの演奏を聴いてみると不思議な穏やかさも感じてしまいます。
私自身の感性の変化もあるとは思いますが、会場の東京文化会館の幾分柔らかな響きと録音の為なのかもしれません。
ムラヴィンスキーは、舞台に向かって左から1stヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、2ndヴァイオリン、そしてチェロの後ろにコントラバスといった、この当時としては古い型の楽器配置を採用していて、これらのステレオ録音や映像で確認することができます。しかしピリオド楽器(作曲された当時使われた楽器)による演奏が増えている今では、この対抗配置はさほど珍しいものではなくなっています。

(2001.2.24)

Back Top Next