その24 / 「エピローグ。これからのタコ5」
いよいよ最終回です。

結局エアチェックテープも含めて、今回聴くことができたのは80種ほどでした。 録音された演奏の全貌を捉えることはできていませんが、今まで盤として発売されたのはおそらく100種類前後だと思いますので、主要な演奏はほぼ聴けたと思います。

その中でどうしても入手できなくて、試聴を断念せざるを得ないものがありました。 例えばロシア国外録音第1号であるストコフスキーの第1回録音、アメリカの実力者デプリーストや、チェリビダッケ&ミュンヘンフィルのライヴなど。 また聴いたにもかかわらず時間が足りずに紹介できなかった演奏の中には、 インバルやアシュケナージ、マリス・ヤンソンスなど興味深い演奏もありました。
このシリーズで紹介した演奏は、スコアを参照したり他の演奏と部分的に聴き比べたりして、一つの演奏について少なくとも3回は聞き直しています。しかし、いろいろな演奏を聴き進めていくにつれて、自分自身演奏に対する評価が段々と辛くなっていくのがよくわかりました。
今まで書いてきたのは、あくまでもアマチュアの音楽愛好家である私の独断と偏見で、かなり個人的な好みが出た感想です。ですから、一般的な評価の高い演奏でも評価の辛い演奏もいくつか出てしまいました。
心残りはインバルを紹介できなかったこと。インバルにはフランクフルト放送響とウィーン響と2度の録音がありますが、両盤を何度も聴いてみて、とくにフランフルト放送響盤は非常に優れた演奏だという確信は得たのですが、時間不足のため自分自身の中でまだ完全に発酵しきれず、ここに文章として紹介するまでの決断がつきませんでした。 (実は個人的にインバルは苦手な指揮者なのです。実演を聞いても今一つでした。)
そしてヴォルコフの「証言」の存在。80年代初めは、「証言」の影響力は意外に大きくて、 今まで絶対的な評価を得ていたムラヴィンスキー盤の評価が揺らぎ、「証言」に追従したかのような演奏もいくつか現れたりしていましたが、90年代以降はムラヴィンスキー盤の復権とともに混乱も収束し、「証言」の影響は次第に過去のものになりつつあると思います。 もはや完全に古典として定着したこの名曲は、作曲の経緯などは超越してしまって、純粋に楽譜に書かれた内容を新たな視点で音化した演奏が主流になりつつあるようです。

以上いろいろ聴いてみて、私が非常に感銘を受けた演奏が3種類あります。 それはミトロプーロス&ニューヨークフィルとムラヴィンスキー&レニングラードフィルのウィーンでの録音。そして紹介に間に合いませんでしたが、スピヴァコフ&ロシア・ナショナル管の3種類です。 ミトロプーロスとムラヴィンスキーについては既に書きました。 ヴァイオリニストとして各種コンクールの入賞歴を持つスピヴァコフの演奏は、昨年のライヴ録音。楽譜に極めて忠実でいながらロシア的なローカル部分を隠し味として持ち、過度な情に溺れず、緊張感を終始保ち叙情性と輝かしさがバランス良く共存した未来志向の爽やかな名演でした。 今まで指揮者としての力量はあまり知られることのなかったスピヴァコフですが、今年、急病のため来日できなくなったスベトラーノフの代役として急遽来日が決定しました。 今後21世紀を代表するロシアの指揮者となるかもしれません。

(2001.5.29)

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