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「第九を聴く」5 戦前派巨匠の時代 II ・・ブルーノ・ワルター
ブルーノ・ワルター(1876〜1962)

フルトヴェングラー、トスカニーニと並ぶ20世紀前半を代表する大指揮者。
モーツァルトやマーラーで甘美な名演を聴かせたワルターの第九を聴いてみました。
(1)   ニューヨークフィルハーモニック、ウェストミンスター合唱団、
    S:ゴンザレス、A:ニコライディ、T:ジョバン、Br:ハーレル
    (1949年4月16日 5月4日)
(2)  ニューヨークフィルハーモニック、ウェストミンスター合唱団、
    S:イーンド、A:リプトン、T:ロイド、Br:ハーレル
    (1953年3月7日  第4楽章のみの録音)
(3)  コロンビア響
  (第1〜第3楽章はグレンディル響、第4楽章はニューヨークフィル)、
   ウェストミンスター合唱団、
    S:クンダリA:ランキン、T:デ・コスタ、Br:ヴィルダーマン
    (1959年1月、 第4楽章のみ4月6日)
ワルターの第九はこの他に、1947年のロンドンフィルとのライヴがあります。
ニューヨークフィルとの第九はロマンティックでダイナミックな演奏ですが、異様に早いテンポ運びの第2楽章、テンポを揺らせたずいぶんと重々しい第1楽章など、全体的にワルターの主張が一貫せず散漫な演奏です。特に第4楽章は、数年後に独唱者たちを入れ替えて再録音を行う異例の事態となった悲惨な出来です。
オケの響きは厚く、木管はおそらく倍管、ホルンも増員しているのかもしれません。第1楽章の311小節めのクライマックス部分と終結部は、ホルンとトランペットを増設して部厚い響きを実現しています。しかしトスカニーニやメンゲルベルクと比べると、全体としては楽譜の改変は最小限、第1ヴァイオリンやホルンの一部1オクターヴ上げはありますが、第2楽章の第2主題や第4楽章冒頭のトランペットなどは楽譜に忠実です。第3楽章はワルターらしさの出た静謐で美しい仕上がりであるものの、乱暴なほどの荒削りな第2楽章オケと、合唱に集中力を欠きかなり散漫な第4楽章は、およそワルターの演奏とは信じられない演奏です。
第4楽章にいたっては、独唱者たちのアンサンブルがバラバラで曲が進行していくにつれて合唱やオケにまで怪しげな雰囲気が伝染、演奏そのものが崩壊していくのがわかるといった状況でした。現在発売中のCDでは第4楽章は53年録音と入れ替えられています。

53年録音の第4楽章は緊張感に満ちた名演。歓喜の主題が出現する過程のテンポ運びも
自然で、歓喜の主題の歌わせ方も実に感動的です。二重フーガの合唱の迫力も見事なもので、とても49年録音と同じ団体とは思えない気合充分の歌唱を聴かせます。
独唱者のアンサンブルも文句のない出来。後のステレオ再録音を大きく凌駕する素晴らしい演奏です。

コロンビア響とのステレオ再録音は、暖かい歌に満ちた、堂々たる風格充分の演奏です。特に深い響きの第3楽章は傑作でした。旧盤に比べてテンポ運びもすっきりした自然なものになりました。オーケストレーションの改変も、第4楽章の200小節前後と二重フーガでの金管楽器の旋律の補強ぐらいの最小限で、録音のミキシングにより楽器のバランスを調整しているようです。
第4楽章だけはソリストと合唱の都合によりニューヨークフィルのメンバーによって録音されましたが、オケが変った違和感はあまり感じません。第4楽章の合唱が入るまでの慈しむようにじっくり歌う歓喜の主題は、聴いていて深い感動が湧きあがってくるのを覚えます。ただこの楽章全体のテンポ設定が幾分アンバランスで、二重フーガが異様に遅いのと、独唱者もバラツキがあり(テノールが弱い)、53年盤ほどの感銘は受けませんでした。

ワルターのステレオ録音のために組織されたコロンビア響の実体は、当時全盛期だった映画のサントラ録音のためハリウッドに集まっていた超一流のスタジオミュージシャンたちが組織していたグレンディル響です。全米で最もレコーディング回数が多いといわれるこのオケは、初見でレコーディングができるヴィルトオーゾオケとしてさまざまなレコード会社にいろいろな変名で参加しています。当時のメンバーは一流オケ団員の5倍近い収入があり、中には年間10万ドル以上の収入を得る演奏者もいたそうです。

(2001.06.24)
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