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「第九を聴く」36 マルケヴィッチ
「イーゴリ・マルケヴィッチ(1912〜1983)」

キエフ生まれ、貴族だったために家族は、ロシア革命を逃れスイスに移住、音楽の教育はパリで受けたという国際派の大指揮者。
妥協のない性格のため実力の割にはポストに恵まれず、ラムルー管やモンテカルロ歌劇場管、ハバナフィルといったニ流どころのオケの音楽監督に甘んじ、70年代以降はフリーの立場で世界中のオケに客演するかたわら、ベートーヴェンの交響曲の校訂に心血を注ぎました。私は最後の来日時に実演を聴く事ができましたが、実演で聴いたカラヤンやバーンスタイン以上の強烈な印象を受けました。

マルケヴィッチが晩年に取り組んだベートーヴェン9曲の交響曲の校訂は、1983年にペータース社から出版されています。
残念ながらこのマルケヴィッチ版による交響曲全曲録音は存在しません。しかもベーレンライター新版が出版された現在、今後注目される可能性は少ないかもしれません。

私が聞いたマルケヴィッチの実演の曲目には、マルケヴィッチ版の「エロイカ」がありました。もう20年も前のことなので細部までは思い出せませんが、極めて透明で各声部が実に明快に鳴り響いた演奏で、現在の古楽器による演奏を先取りしたリズミックで細身の響きが、当時の耳には実に新鮮に聞こえました。フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュといった往年の巨匠たちのデモーニッシュな演奏とは対極にある演奏だと思いました。

マルケヴィッチ版による第九の演奏は、日本の堤俊作&東京シティフィルによるCDが出ていましたが、なかにし礼による日本語訳詞による演奏ということもあり、正直なところあまり購買意欲が起きず、私は未聴です。この録音はあっという間に廃盤となり、今では珍盤の部類に属してしまいました。
他には既に紹介した高関健&群馬交響楽団による全集中、第九のみがマルケヴィッチ版を参考にしたとの記述があります。

マルケヴィッチ自身には、50年代から60年代にかけて音楽監督を務めたフランスの
ラムルー管弦楽団による第九の録音があり、これは当初全集に発展する予定でしたが、
マルケヴィッチの厳しい練習に練習嫌いで有名なラムルー管側が反発し、結局
1、5,6,8,9番の5曲のみの録音で中断してしまいました。

今回はラムルー管による演奏で聴いてみました。

・コンセール・ラムルー管弦楽団、カールスーエ・オラトリオ合唱団
S)H.ギューデン A)ヘイニス、T)ウール、Bs)レーフス
(1961年1月 パり スタジオ録音)

聞き手に媚びない孤高の演奏。贅肉を削ぎ落とした枯れた響き、細部まで明快な辛口の演奏でした。
オケを絞りに絞ったことが如実にわかる厳しい演奏です。いつもはラフなアンサンブルのラムルーのオケもよく応えていました。
第2楽章のトリオで聴かせるフレンチバスンとコル(ホルン)の軽く明るい美しい音色は、今ではどのオケからも聴かれなくなってしまった当時のラムルー管独特のものです。
第2楽章のリズムの冴え、第3楽章でも全く停滞感を感じさせない素晴らしい歌、
第4楽章の堂々たる高揚感など、さすがの貫禄。

オーケストレーションの改変は、第1楽章後半部分のヴァイオリンのオクターヴ上げ、第2楽章第2主題のホルン追加や第4楽章冒頭のトランペットの音型追加など、常識的なものですが、第4楽章オケのみで歓喜の主題が盛り上がった後の木管楽器の音型にファーストヴァイオリンを重ね、前へ前へ突き進む曲想を一層盛り上げていて、実にユニークな効果を上げていました。
また、ギューデン、ヘイニスの稀代の名歌手二人の歌唱は実に素晴らしく、独唱部分のアンサンブルなど完璧な出来です。この二人に対して、男声はいささか非力ですが、テノールはよく健闘していると思います。合唱も各声部を明快に浮き上がらせたマルケヴィッチ好みの音色ですが、幾分粗さが感じられました。
(2003.09.18)
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