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再び「第九」を演奏することになったため、連載を再開します。 連載第1回は、「第九」の全曲初録音とされていたワイスマンによる演奏です。 今年惜しくも休刊となった季刊「クラシックプレス」誌。この2001年冬号には、 高橋敏郎氏による「第九」のディスコグラフィーが載っています。 これは通常の商業ベースに乗った録音が中心で、アマチュアオーケストラのプライベート盤はごく一部を除き省かれていますがその数実に350種、よくぞここまで調べたものです。それ以上に貴重なのは、かつて史上最初の「第九」の全曲録音とされ、SP初期の1924年にイギリスで発売されてから以後LP復刻もされず、いわば幻の演奏だったワイスマン&ブリュトナー管の全曲演奏の復刻CDの付録。 今回はこの演奏を紹介しますが、このクラシックプレス誌の記事で驚いたのは、今までワイスマン指揮とされていたこの録音、実際にワイスマンが指揮しているのは、第1楽章から第3楽章までで、第4楽章については、メーリケ指揮のシャルロッテンブルク・ドイツ・オペラハウス管によるものだということです。 この事実がカナダのレコード研究家の努力によって明らかになったのは、なんと1997年のことで、オリジナルのSP盤のレーベル面には歌手の名さえなく指揮者ワイスマンの名のみが記されていたので、永くワイスマンの指揮による全曲演奏ということになってしまったのだそうです。 以下に初期の録音を年代順に並べると、 @1921年 2月 エドゥアルド・メーリケ指揮 シャルロッテンブルク・ドイツ・オペラハウス管(第4楽章のみ) A1923年 ブルーノ・ザイドラー=ヴィンクラー指揮 新交響楽団 B1923年 アルバート・コーツ指揮 交響楽団 C1924年 1、2月 フリーダー・ワイスマン指揮ベルリン・ブリュトナー管 (1〜3楽章のみ) D1925年1月 エドゥアルド・メーリケ指揮 ベルリン国立歌劇場管 (第4楽章のみ) となりますが、1924年7月に英パーロフォン社からイギリスで発売されたのは、 @と?Cの組み合わせ、翌1925年に独パーロフォン社から発売されたのは、?Cと?Dの 組み合わせだったそうです。 1924年は、「第九」初演の100周年ということでもあり、いくつかのレコード会社が「第九」の全曲録音盤の発売を競い合っていた年でした。 このようなことになったのは、内容はともかく他社に負けず同じ時期に「第九」の全曲盤を発売してしまいたかった、という商業録音の黎明期ならではの現象だと思います。 フリーダー・ワイスマン(1894〜1984)ドイツのランゲン生まれ、 フランクフルト歌劇場の指揮者からベルリン国立歌劇場、ドレスデンフィルの指揮者を歴任、1920年代の機械吹きこみ時代に膨大な量の録音をパーロフォン社に残しています。1933年にアメリカに本拠地を移した後は、シンシナティでアメリカデビュー、スクラントンフィルやハバナフィルの音楽監督となりましたが、これといった録音もなく、以後消息不明となってしまいました。 私自身ワイスマンといえば、全く過去の指揮者という印象でしかなく、1984年に突然の死亡記事を見た時には、この指揮者が日本にも度々訪れたカール・ベームと同じ年、フルトヴェングラーやワルターよりも若く、しかもCD期まで生き延びていた事実を知って唖然とした記憶があります。 エドゥアルド・メーリケ(1877〜1929) シュトゥットガルト生まれ、1912年ベルリン・オペラハウスが創設されると初代指揮者となった。 ワイスマンについては、日本の音楽評論の草分けであった、あらえびす(野村胡堂)や野村光一といった戦前の著書に多少名は出てくるものの、指揮者メーリケについては、ほとんど情報がありません。有名な詩人のメーリケと同名で親戚筋のようです。 ・ベルリン・ブリュトナー管弦楽団(第1〜第3楽章) シャルロッテンブルク・ドイツ・オペラハウス管弦楽団(第4楽章) S)ワリー・ファン・レーマー A)ヒルデ・エルガー T)ヴァルデマール・ヘンケ Bs)アドルフ・シェプライン 当時の録音方式はマイクロフォンによる電気録音以前の時代、メガホンのような漏斗状の録音器に向かって演奏し、直接ワックスを塗った平面盤に刻んでいくといった原始的なものでした。したがって、声楽やヴァイオリンなどの独奏曲は比較的良好な状態で記録できたものの、オーケストラ録音となると金管楽器や打楽器がフォルテで演奏してしまうと、完全に飽和状態となって他の楽器がマスクされてしまったようです。 当時のオーケストラ録音風景の写真を見ると、編成は20名程度、弦楽器には音を大きくするためのラッパ状の特殊な器具をつけ、録音器の前にひしめきあって並び、金管楽器は遠くの方に数人といった状況です。当然取りなおしが出来ない一発勝負で演奏しなければ ならず、解釈は二の次、とにかく全曲無事に演奏するのが精一杯だったことが想像されます。まして合唱や独唱者が入る「第九」ともなると、その困難さは想像するものがあったと思います。 実際にこの演奏を聞いていると、ザーザーという針の音が楽音よりも大きな音で入っています。ヴァイオリンの音などヒーヒーとしか聞こえて来ません。コントラバスの変わりにチューバを使用していて、第4楽章の歓喜の主題がほとんどチューバソロで演奏されるのは今の耳できけば滑稽ですが、当時は大まじめだったと思います。 しかし人間の耳は便利なもので、慣れてしまうと針音が気にならなくなってくるから不思議なものです。 第1楽章から第3楽章は、遅いテンポできっちりとまとめた無難な演奏です。 ワーグナーやワインガルトナーが行っていた改変にも忠実で、第1楽章の56小節からの木管の動きを弦楽器と合わせ、第2楽章第2主題にホルンを重ねています。 第1楽章はスローモーでほとんどテンポの揺れがありません。これはコントラバスパートをチューバに吹かせているために、早いテンポにすると追いつかなくなるからではないでしょうか。 第2楽章では、コーダの終盤549小節目に極端にテンポを落とし、木管をゆったり歌わせるなど、今では聴かれない解釈も見せた演奏でした。 第2楽章の再現部でティンパニが落ちたり255小節目で叩き間違えがあったり、第3楽章の99小節目Lo stesso tempoからファンファーレ部分に至る間の第1ヴァイオリンの細かな動きが、木管楽器群と大きくずれたりといった今では考えられないような大らかさがありました。 一方のメーリケによる第4楽章は、冒頭から91小節目までをカット、したがって歓喜の主題からいきなり始まります。それもチェロはほとんど聞こえず、チューバのソロが延々と続きます。 さらに驚いたのはバリトンソロで、最初のオー・フロイデでは、ベートーヴェンが小さな音符で書いたCisで歌っています。当時はごく普通にこのような形で歌われていたのかもしれません。 合唱はおそらく20人くらいで、ソリストも含め、小節の頭にアクセントをつけたり、末尾を伸ばし気味にするといった具合で、かなり古めかしい歌唱。アンダンテ・マエストーソで誰か男声が一人飛び出したりして、アンサンブルもかなりラフでした。ソリストも二流、アルトは音がフラット気味だし、テノールはマーチ部分で息切れ気味です。 メーリケの解釈は、ワイスマンと同様ごく平凡なものですが、終盤810小節ポコ・アダージョでぐっとテンポを落とし、その後の木管楽器によるTempo ?Tでもほとんどそのままといった、個性も見せていました。 なおマーチ部分の後半、オーケストラのみによる432から534小節はカットされ、 テノールソロに続く合唱の後、いきなり歓喜の合唱に突入していました。 この史上初の「第九」録音は、録音も貧弱、指揮者をはじめとしてオケも合唱も二流の域を出ませんが、全体に漂うなんとも大らかな雰囲気が不思議な魅力となった演奏でした。 合唱の演奏スタイルや、テンポの動きなど、10数年後のワインガルトナーらに比べるとずっと古風です。 おそらくこれが19世紀後半から20世紀初頭にかけての一般的な演奏スタイルで、 他に類似の演奏がないだけに、貴重なドキュメントだと思います。
(2003.07.14)
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