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ディヴィッド・ジンマン(1936〜 ) ニューヨーク生まれ、始めはヴァイオリンを専攻していましたが、後にモントゥーに指揮を学びこの巨匠の死まで助手を務めました。1964年からオランダ室内管の常任指揮者、その後ロチェスターフィルの音楽監督、ロッテルダムフィルの常任指揮者を経て、ボルチモア響の音楽監督中にグレツキの「悲しみのシンフォニー」の大ヒットでブレイク、一躍レコーディングが急増しました。現在はチューリッヒトーンハレ管の常任指揮者在任中。 チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 、スイス室内合唱団、 S:ツィーザク、A:レンメルト、T:ディヴィスリム、Bs:ロート (1998年 12月12〜14日 ) ベーレンター版によるモダン楽器による初のベートーヴェン交響曲全集というふれこみで発売された全集中の一枚。 この全集が発売になった当時は、未だベーレンライター版は出版されていませんでした。 このジンマンの演奏が、あまりにも衝撃的な内容であったため、これからのベートーヴェン演奏は革命的な変化を遂げるのでは、大変評判となりました。 しかし実際にベーレンライター版が出版されると、なんとジンマンはベーレンライター版のとおりに演奏していないばかりではなく、そもそもベーレンライター版を参照して録音していない、という事実が判明してしまいました。「運命」第一楽章のオーボエソロなど、各所で聴かれていた革新的な改変はジンマン自身の解釈であったのです。この全集が「ベーレンライター版によるモダン楽器による初のベートーヴェン交響曲全集」ということが大きな売りであっただけに、この罪は大きいと思います。 ただ、全集の最後の録音となった第九だけはベーレンライター版をちゃんと参照したようで、CDの解説もデルマールが書いています。しかし必ずしも全てベーレンライター版の指示通りという訳ではなく、各パートを部分的に極端に刈り込み室内楽風の効果を上げたり、第2楽章トリオ終結部のヴァイオリンのタイをブライトコップ版のままといった具合です。第2楽章のトリオ部分がスケルツォ部分より速いのと第4楽章のマーチのテンポはデルマールの指示にほぼ忠実。ホルンのシンコペーションもベーレンライター版の指示に従っています。ユニークな部分としては、ティンパニが小型で軽い響きであることと、マーチ部分ではシンバルをバチで叩かせて、トルコ行進曲風の面白い響きを聴かせていました。全体的に速めのテンポなのは、ベーレンライター版や古楽器による演奏の共通した特徴ですが、モダン楽器を用いて古楽器のような透明な響きを実現しているのは、ジンマンの力量の確かさだと思います。歌手はなかなか優秀でバリトンソロはかなり自由に歌わせています。特にソプラノは傑出していると思いました。演奏そのものは透明で清潔感の感じられる優れたものですが、なんとも速くてテンポの軽い第3楽章など、結局全曲を通して楽天的で深い感動とは無縁の演奏でした。、 チャールズ・マッケラス(1925〜 ) アメリカ生まれ、2才のとき両親の故郷であるオーストラリアに移り、シドニーでオーボエを学び、シドニー響の首席オーボエ奏者。後にチェコに留学し名指揮者ターリヒに師事しました。ハンブルク国立歌劇場の指揮者を経て、サドラーズ・ウエルズオペラの音楽監督、BBC響の首席客演指揮者。 比較的早い時期から録音は多く、特に師ターリヒから影響を受けたモラヴィアの大作曲家ヤナーチェクの解釈については現在他の追随を許さない存在です。 ステレオ初期に、40人のオーボエ奏者を集めたオリジナル編成によるヘンデル「王宮の花火」の音楽のレコーディングを行なったり、最近ではブラームスの時代のオリジナル編成による交響曲全集の録音を行うなど、原典尊重派として優れた演奏もいくつか残しています。 ロイヤルリヴァプールフィル、合唱団、 S:ロジャーズ、A:ジョーンズ、T:ブロンダー、Bs:ターフェル (1991年 1月 ) デルマールの監修の下に行ったモダン楽器による交響曲全集中の1枚。録音時期から見れば、この演奏こそ「モダン楽器によるベーレンライター版による初のベートーヴェン交響曲全集」で、スコアに書かれたベートーヴェンのテンポ指示に極めて忠実に従った、奇を衒わない名演奏です。ただ第2楽章のトリオの部分は、ジンマン盤ほどの速さはありません。第2楽章トリオ終結部からスケルツオに突入する部分もベーレンライター版の指示のとおりヴァイオリンにタイで弾かせています。ホルンの第4楽章シンコペーションなど他の主要な部分もベーレンライター版のとおりでした。独唱、合唱も充実した出来です。特に第4楽章の終結部分は透明感と彫りの深い表現も獲得していて、大きな感動を誘います。
(2001.12.16)
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