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カール・ベーム(1894〜1981) オーストリアのグラーツ生まれ、ブラームスの友人マンチェフスキーに音楽を学ぶかたわらグラーツ大学で法律を専攻し、博士号を取得。20歳でグラーツ歌劇場の練習指揮者から出発し、バイエルン、ダルムシュタット、ハンブルク、ドレスデンといったドイツの主要な歌劇場の指揮者を歴任、1943年にはウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任しています。 ベームは典型的なドイツのカペルマイスターですが、コンサート指揮者としてもブラームスやモーツァルトのみならず、親交のあったR.シュトラウスにも数々の名演を残しています。 特に最晩年は何度かウィーンフィルと来日し、カラヤンを凌ぐ人気指揮者となりました。第九の録音はライヴ録音も含めて以下の8種類の録音があります。 ・ ドレスデン国立歌劇場管(1941年 スタジオ録音 EMI) ・ フランクフルト放送交響楽団(1954年9月29日、ライヴ) ・ ウィーン交響楽団(1957年 6月20日 スタジオ録音 フィリップス) ・ バイロイト祝祭管(1963年 バイロイト音楽祭ライヴ) ・ ベルリンドイツオペラ管(1963年 11月 東京ライヴ、ポニーキャニオン) ・ ウィーンフィル(1970年 4月 スタジオ録音 グラモフォン) ・ ウィーン交響楽団(1980年 ブレゲンツ音楽祭ライヴ) ・ ウィーンフィル(1980年 11月 スタジオ録音 グラモフォン) 他にウィーンフィルとの2種のライヴ録音があるようです。 今回はウィーン交響楽団との2種の録音とベルリン・ドイツオペラ管のライヴを聴いてみました。 ウィーン交響楽団、ウィーン国立歌劇場合唱団、 S:シュティヒ=ランダル、A:レッスル=マイダン、T:デルモータ、 Br:シェフラー (1957年 6月20日〜26日) ベーム2度目のモノラルのスタジオ録音。ベームは同時期フィリップスにモーツァルトを中心にいくつかの録音を残していて、それらは壮年期の覇気に満ちた推進力のある名演揃いですが、この第九は中途半端な失敗作となってしまいました。オケも底の浅い表面的な響きに終始しています。特に第3楽章はせかせかとした落ち着きのない演奏です。第2楽章では加筆されたホルンを最強奏させていますが、どうも荒っぽいだけの印象です。アンサンブルもかなり雑で、歓喜主題のオケ部分の歌わせ方など部分的には美しい箇所はあるものの、後のベームからは想像もできない不出来な演奏です。 歌手と合唱は当時のウィーン国立歌劇場のメンバーで、歌手は名だたる名歌手が名を連ねていますが、合唱ともども平凡な出来でした。 ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団、合唱団、 S:グリュンマー、A:ルートウィッヒ、T:キング、 Bs:ベリー (1963年 11月7日 東京日生劇場 ライヴ) 1963年ベルリン・ドイツオペラの来日公演のライヴ。最高の歌手、オケと合唱と裏方まで揃えた63年ベルリン・ドイツオペラの引越し公演は、今でも語り草になっているほどの音楽的な大事件でした。この第九は、オペラ公演の合間に行なわれました。 この演奏でも独唱と合唱は実に見事な出来です。特に合唱団の奥行きのある力強い圧倒的な響きは、多くの第九の録音中でも最高の歌唱だと思います。 ライヴに本領を発揮するベームの指揮も、ドイツ的な重厚さを見せながら、迫力に満ちた熱気に満ちた演奏を聴かせます。ただしベルリン・ドイツオペラのオケはベームの指揮に充分に応えているとはいえず、随所でアンサンブルの破綻を見せているのが惜しいと思います。 ウィーン交響楽団、ウィーン楽友協会合唱団 S:ローレンガー、A:シュヴァルツ、T:ローウェンタール、Bs:ウィンベルガー (1980年 7月18日 ブレゲンツ音楽祭 ライヴ) ベーム晩年のブレゲンツ音楽祭でのライヴ。最晩年のベームは、来日公演でもさすがに老いの影は隠せず、時として緊張力が弛緩する場面がありましたが、ここでも前半の二つの楽章は、気分の乗らない遅いテンポのなんともユルイ演奏です。 しかし深く美しい響きを聴かせる第3楽章になると、オケの響きの中に次第に変化の兆しが現われます。中でも第4楽章冒頭の轟然と鳴り渡るオケのゴーという響きには、圧倒されてしまいました。ここにきてライヴのベーム本来の、演奏者が一体化した白熱の演奏を展開していきます。かちっとした硬質の響きの独唱者たちも好ましい出来。 ウィーン楽友協会の合唱団は相変わらずアンサンブルは甘いですが、熱っぽい歌声でこれはなかな感動的でした。ウィーンフィルとの二つの正規録音もありますが、両者ともベームの実力からすれば、はなはだ不本意な録音なので、前半の二つの楽章がいまひとつの出来とはいえ、このウィーン響とのライヴが、結局ベームの第9の録音中ではこの演奏がベストだと思います。
(2001.12.06)
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