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「ビゼーの1番を聴く」1・・・聴きどころとミュンシュの演奏
ビゼーの交響曲第1番が作曲された1855年は、サン・サーンスの交響曲第1番が作曲され、グノーの交響曲第1番が初演された年でした。ビゼーはグノーの交響曲第1番に特に大きな影響を受け、このピアノ譜を作成しているほどです。実際ハイドンやモーツァルトの古典的な交響曲の延長線上にあるこの2曲は、非常に良く似ています。
これから「展覧会の絵を聴く」の合間に、今回の定演のもうひとつの名曲、ビゼーの交響曲第1番の演奏を紹介していきます。

まず交響曲の数え方ですが、複数の交響曲を書いている作曲家の場合、作曲年代順に第1番から始まる一連番号をつけるのが一般的です。かつては出版年代順に番号が振られる場合があって、作曲年と出版年が異なったりすると、混乱を生じていた場合がありました。
たとえばドヴォルザーク、
出版年順番号、         1 3 2 4 5
作曲年順番号  1 2 3 4 5 6 7 8 9といった具合。
ブルックナーのように、発表する自信のない作品を、あえて第0番と自嘲をこめて呼んでいた作曲家もいます。なおブルックナーには番号なしのヘ短調交響曲もあって、最近では第00番(ダブルゼロ)とも呼ばれています。

ところで交響曲を生涯に1曲のみしか残さなかった作曲家の場合は、フランクの交響曲ニ短調、ショーゾンの交響曲変ロ短調、ラロのト長調のように、調性で呼ばれるのが普通です。
その中でなぜかビゼーの場合は、ハ長調の交響曲が第1番と呼ばれています。これは第2、第3の交響曲が存在する(した)と言われているためで、少なくとも第2番は確実に存在したようです。しかしビゼーはその37才という短い生涯の晩年に、自分の作品の多くを焼却処分したため、おそらく残りの2曲も処分されてしまったのではないかと言われています。
ただ、第1番のように作曲者の死後80年もの間パリ音楽院の図書館に埋もれていたのが、研究者の手によって発掘され生命を吹き込まれた例もあるわけで、他の2曲もどこかに眠っているのかもしれません。
また1867年に作曲された組曲「ローマ」が、交響曲「ローマ」と呼ばれることもありますが、成立過程に謎が多く、今のところ交響曲としての市民権は得られていません。

ビゼーの交響曲第1番は、1935年名指揮者ワインガルトナーによってスイスのバーゼルで初演されました。翌年、シャルル・ミュンシュの指揮によってパリ初演が行われています。

第1回はこのフランスの大指揮者シャルル・ミュンシュの演奏を紹介します。

「シャルル・ミュンシュ(1891〜1968)」
パリ音楽院管、ボストン響の常任指揮者、パリ管初代音楽監督だった大指揮者
シャルル・ミュンシュには、1960年代の二つの録音があります。

ところがこのミュンシュの二つの録音には、大きな問題を含んでいます。
場所は第3楽章のトリオ部分、練習番号8の3小節めの第1拍めのオーボエパートで、ビゼーの楽譜は「シ」、ところがミュンシュのフランス国立放送管との2度目の録音ではこの部分を「シのフラット」で吹かせています。
その影響は大きく、この旋律がヘ長調となって全体の響きの座りが良くなり、旋律の流れも自然に感じられます。
おそらくミュンシュは、当時17才のビゼーの記譜誤りだと判断したのではないでしょうか?
同じようにこの部分をシのフラットに変えている指揮者は意外と多くて、マルティノンやコシュラー、バレンボイムなども同様です。
ところがオリジナルは、「シ」。作曲家の諸井誠さんによると、この部分は明らかにビゼーは意識して「シ」にして、リディア旋法を採用したのだ、と主張しています。私もオリジナルの「シ」方が、エキゾティックさと牧歌的でのどかさが雰囲気よく出ていると思います。

さてミュンシュの演奏ですが、旧盤はロイヤルフィルとの演奏。
勢いのある早いテンポで、輝かしさに満ちた素晴らしい名演です。第3楽章のさりげない弦楽器のピチカートの表情など、実にうまいものです。
この録音を手がけたプロデユーサーのチャールズ・ゲルハルトの手記によると、この録音の際ミュンシュは絶好調で、ごく短期間のリハーサルで仕上がったそうです。
フランス国立放送管との再録音は、テンポもぐっと遅くなったロマンティックな演奏。
第2楽章の歌わせ方など巨匠の貫禄を見せますが、旧盤と比べると幾分鈍重な趣でした。

今回聴いたのは両盤ともLPですが、日本コロンビアから出ていたフランス放送管との再録音は、どうも実際のピッチより低くカッティングされているような気がします。


(2002.03.07)
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