「巨人を聴く」11・・・・ワルターの使用楽譜について
「ブルーノ・ワルター(1867−1961)」

まず聴き比べの第一歩としてマーラーと非常に関係が深く、「巨人」の録音を数多く残しているワルターの演奏から始めることにします。
ところがワルターの「巨人」のいくつかを一通り聴いてみたところ、使用譜がそれぞれ微妙に異なっていることが判りました。

まず手持ちのワルターの演奏から、使用譜の異なる部分の比較から始めることにします。

ワルターは、「巨人」のハンブルクでの演奏を聴きマーラーに接近、以後マーラーとは師弟関係であったのみならず生涯にわたって友人でもあり続けました。
マーラーがニューヨークフィルを振った最後の「巨人」公演も実際に聴いていて、その演奏に関してワルターの感想を求めたマーラーの書簡も残っています。

いわば録音の残っている指揮者として、指揮者マーラーの解釈を最も熟知している指揮者と言えます。

ワルターの「巨人」の録音は、2種のスタジオ録音のほかに今のところ7種のライヴ録音があります。

・1939年 4月8日   NBC響         ライヴ録音
・1942年10月25日  ニューヨークフィル   ライヴ録音
・1947年10月16日  アムステルダム・コンセルトヘボウ管  ライヴ録音
・1947年11月6日   ロンドンフィル      ライヴ録音
・1950年2月12日   ニューヨークフィル    ライヴ録音
・1950年10月2日   バイエルン国立管     ライヴ録音
・1954年1月24日   ニューヨークフィル    ライヴ録音
・1954年1月25日   ニューヨークフィル    スタジオ録音
・1961年1月      コロンビア響       スタジオ録音

以上の9つの録音ですが、ニューヨークフィルとの3種のライヴは一部データに不確かなものもあり、1950年2月12日と1954年1月24日の演奏は同一録音との見解もあります。

この中で聴くことができたのはNBC響、ニューヨークフィル(1942年)、コンセルトヘボウ管、ロンドンフィル、バイエルン国立管の5種のライヴと、ニューヨークフィル、コロンビア響との2種のスタジオ録音です。

7種の演奏を聴いてみると、第1,2楽章のリピートを励行してないことと第4楽章498小節めのシンバルを入れてないことは全ての録音に共通していました。(1906年版以外はここでシンバルが入る)
この二つの点に関してはワルターの一貫した解釈のようです。


使用譜はニューヨークフィルの1954年のスタジオ録音と、1947年のロンドンフィル、コンセルトヘボウ管との演奏が1906年版(SP1)にほぼ完全に一致。
1942年のニューヨークフィルとのライヴと1961年のステレオ録音は、第2楽章326小節からのティンパニ付加(1906年SP1のアイディア)を採用しながらもフィナーレのホルンの補強はトランペット、トロンボーンの各一本など、1912年版と1906年版の折衷版。
他のライヴは1912年版(DP3)をベースにしているようです。

7種の演奏を聴いた印象では、いずれも譜面に細かく書かれた注釈には忠実であるものの、最後の1961年録音のみ他の演奏に比べてテンポも遅く、抒情的でロマンティックな色合いの濃い演奏でした。

以下に出版の経過とワルターの使用譜を、この頃のワルターの経歴を含めて録音順にまとめておきます。

◆1906年 ヴァインベルガー社 スタディスコア  改訂版 (SP1)

・1909年12月16,17日  マーラー指揮ニューヨークフィル(アメリカ初演)
   この演奏に関してマーラーがワルターに意見を求める

◆1910年 版権がヴァインベルガー社からユニヴァーサル社へ完全に移る。
         ユニヴァーサル社 フルスコア     UE364(DP2)

1911年5月18日  マーラー死去

◆1912年 ユニヴァーサル社 改訂版  フルスコア (DP3)
            マーラーの最後の演奏時の最終案が反映

◎1913年〜1922年  ワルターはバイエルン国立歌劇場総監督

・1939年 4月8日   NBC響  ライヴ録音 (1912年版 DP3)
・1942年10月25日  ニューヨークフィル ライヴ録音
(1912年版 DP3ただしSP1のアイディアを多く含む)

◆1943年   ブージー&ホークス版 ユニヴァーサル旧版 No.578
        (1906年版(SP1)と同一内容)

◎1947−49年     ワルターはニューヨークフィルの音楽顧問

・1947年10月16日  コンセルトヘボウ管  ライヴ録音(1906年版 SP1)
・1947年11月6日   ロンドンフィル   ライヴ録音 (1906年版 SP1)
・1950年2月12日   ニューヨークフィル    ライヴ録音  未聴
・1950年10月2日   バイエルン国立管  ライヴ録音(1912年版 DP3)
・1954年1月24日   ニューヨークフィル    ライヴ録音   未聴

・1954年1月25日  ニューヨークフィル スタジオ録音(1906年版 SP1)
・1961年1月      コロンビア響   スタジオ録音
(1912年版 DP3ただしSP1のアイディアを多く含む)


結局、よくわからない結果となりました。

以下私の勝手な想像。

通常、指揮者は自分の所有するスコアを使いますが、オーケストラが演奏するパート譜は団のライブラリーの譜面を使います。

ワルターの時代は、楽器を重ねたり補強したりといった譜面に指揮者が手を加えることは普通にあったことなのですが、ストコフスキーのような編曲に近い極端な改変を行った指揮者は別にして、客演時に自分の指示を書き込んだパート譜まで持参する指揮者は少数派だったと思います。

今回このような結果になったのは、当時のオケの所有楽譜の版それぞれ異なっていたという単純な理由だと思います。

「巨人」のように複雑な経緯のある曲の、版の違いから来る各パートの音符の加筆や削除、修正は、現実に時間の制約のある客演時のリハーサルの現場では、とても全てを指示できるものではないと思います。

結局リピートの実行や第4楽章のシンバルの有無のような、簡単に指示できる部分はワルターの指示通りとなった。ということではないでしょうか。

以下さらなる推測。

創設まもないNBC響の団所有譜は直近の1912年版(DP3)だった。
ロンドンフィルは、数年前にイギリスで出版された最新のブージー版(中身は1906年版と同一SP1)を使用している。
マーラーが客演したり、マーラーと親交のあったメンゲルベルクが率いていたコンセルトヘボウ管は、メンゲルベルク時代(1895年 - 1945年 首席指揮者)のパート譜を頑固に使用(1906年版 SP1)

さらにバイエルン国立管はワルターが総監督だった時代(1913−22)に使用していた譜面(1912年版 DP3)を使用、
といったあたりが、私の想像です。

ただよくわからないのはニューヨークフィルで、1942年ライヴはワルターの生涯最後の「巨人」の録音になった1961年録音と、使用譜の内容がほぼ同じなのに、1954年のスタジオ録音では1906年版(SP1)です。

1954年録音は、初めてのスタジオ録音ということでこの時だけ最も新しいブージー社のもの(SP1と同一)を使用したのでしょうか?

ニューヨークフィルとの1950年ライヴの使用譜が気になるところです。

ワルターが使用していた「巨人」のスコアは、現在ニューヨークフィルのアーカイヴに保管されています。(マーラー協会校訂報告W-DP1)
(2014.05.17)