「ヘルマン・シェルヘン(1891〜1966)」 ベルリン生まれ。独学でヴァイオリンとヴィオラを学び、1907年からベルリンフィルのヴィオラ奏者。1911年には、マーラーの交響曲第7番のベルリン初演にもヴィオラ奏者として参加しています。 新ウィーン楽派や現代音楽作品の紹介に努めたシェルヘンにとって、マーラーはまさに同時代の音楽でした。1920−21年にかけてはマーラーの交響曲第5,1、6、9番と大地の歌を指揮しています。 シェルヘンのマーラーの交響曲録音は、第1,2,5,7番のスタジオ録音のほか、ライヴで第5〜10までの交響曲があります。 ほとんど独学でベルリンフィルのヴィオラ奏者となったシェルヘン。 指揮も独学で、既成の概念に捕らわれない奇抜な演奏も少なくなく、特にその晩年には有り余る才能が爆発して暴走した演奏がライヴ録音として残されています、 シェルヘン自身の雄叫び飛び交うスイスの放送オケを振ったベートーヴェンの交響曲全集や、カットだらけのマーラーの交響曲第5番など、もはや誰にも止められない常人の理解の範疇を越えた過激な演奏は有名です。 ・ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団 (1954年9月、ロンドンのウォルサムストー・ホール スタジオ録音) シェルヘンは、1950年代に当時新興のレコード会社だったウエストミンスターに、16世紀のガブリエリから20世紀のオルフまでの、膨大な量のスタジオ録音を残しました。 ウエストミンスターへのマーラーは、第1,2,5,7番の4曲の録音があります。 シェルヘン晩年の常人の理解を越えた爆発型ではなく比較的普通の演奏なので、晩年の演奏を知る者にとっては多少の期待外れ感はあります。 すっきり明快で曲の構造が良く見通せる演奏で、一つ一つの楽器に際立った存在感が有り、何一つ無駄な音は鳴っていないということは、考えてみれば凄いことだと思います。 中でも第三楽章が出色で、不気味さと去りゆく者の寂しさの対比がこれほど見事に音になった例はありません。 第一楽章リピートなし、第二楽章リピート有。第四楽章シンバルなし。 1906年版(SP1)フィナーレ最後のホルンの補強はトランペットのみのようです。 第一楽章の始まりから遅いテンポ。主部に入ってもこの遅さが持続し、聴いていて不安になるほど。 大人しくも平穏な気分が続き常に遅い演奏ですが、320小節めから突然テンポを落としてホルンを強調。 後半353小節のトランペットのファンファーレからしだいに急き込んで、410小節で加速、トロンボーンとホルンによるウルトラセブンのテーマのような416小節でさらに急加速。音楽はいきなり風雲急を告げ、暴走気味に終結。 第二楽章は全編ビヴィッドで非常に早いテンポ。 最初のリピートを行っているのはこの時代の演奏としては珍しく、肩に力の入った異常なまでの明るさにはコミカルなヤケクソ感が漂います。 121小節のホルン、156,326小節のティンパニ有りは1906版に忠実ですが、 乾いたようなトリオの前半は1912年型、187小節のホルン有りは1906版。 第三楽章ではコントラバス群がピチカートで入る箇所からの、ドスの利いた暗く不気味な存在感が出色。 軍楽隊のパロディの一瞬のバカ騒ぎが去った後、冒頭部分が一旦再現する直前の70小節目で瞬間的に音楽が止まったようになります。 聞き手はあたかも突然ぽっかりと空いた暗く深い穴に投げ込まれたような錯覚に陥ります。 この部分のテンポと楽器のバランスは神技の域。 中間部を経て再び冒頭が再現する113小節あたりからさらに速度は落としていき、140小節めからテンポを急速に速めるのは、ワルターと同じ解釈。 第四楽章は脇目もふらず速いテンポで疾風の如く走り抜けます。 最初の嵐が過ぎ去った175小節からの静けさと緊迫感も出色。 終盤に入り368小節からのクライマックスでのコントラバスの強調が効果的。 ここからはさらに真っ直ぐストレートな表現。 597小節で一瞬テンポを大きく落し、コントラバスを強調しながら長大なクレシェンド。 オケは充分に鳴りきって豪快に盛り上がりますが、熱狂とは遠いどこか醒めているのがシェルヘンらしいと思います。 手元にあるのは、アメリカのMCAの倉庫から発見されたウェストミンスターレーベルのオリジナル・マスター・テープからCD化したもの。 モノラルながら音は実に鮮明で、各楽器の様子がレントゲン写真を見るように良くわかりました。 (2014.08.09) |