・ ロンドン交響楽団 (1969年9月29−30日 ロンドン Barking Assembly Hall スタジオ録音) ホーレンシュタイン晩年のユニコーンレーベルへの録音。 同じ頃のロンドン響を振った録音としては、マーラーの交響曲第3番とR.シュトラウスの交響詩「死と変容」、ヒンデミットの交響曲「画家マチス」、シンプソンの交響曲第3番があります。 第一、二楽章リピート有り。第4楽章496小節のシンバルなし。 使用楽譜は1912版でフィナーレ最後のホルンの補強はなし。 使用譜は旧録音とほぼ同じですが、聴いた印象はかなり異なります。 人生の機微と厳しさも甘さも知り尽くしたかのような大人の音楽。 第一楽章と第四楽章の終結部で、次第にテンポを落としながら音楽が巨大に膨れ上がっていく様子はあたかもブルックナーの交響曲を聴くような趣でした。 第一楽章序奏の部分で、空間を渺茫と漂うオケの妖しいまでの神秘的な響きは、フルトヴェングラーやチェリビダッケなど、ごく少数の指揮者でしか聴くことができない音です。 遠雷のように響くティンパニも効果的。 この楽章全体に静けさが支配、主部に入っても遅いテンポで動きは少なく、ピアニシモでは暖かい優しさが感じられます。 後半の337小節で大きくテンポを落とし、なだれ落ちるような巨大なクライマックスを構築。さらに大きくテンポを落としながら巨大な終結。 旧盤で聴かれた416,417小節のホルンの強調はありませんが、442小節からのトランペットをホルンの音型と重ねています。(1906年版の特徴のひとつ)。 第二楽章は遅いテンポでウィーン風のテイストが漂うのは旧録音と同じ。 121小節のホルン有り。トリオは1912年版で退廃的な雰囲気。 旧録音ではなかった155小節のティンパニは有りますが、320小節では入りません。 292小節からの6小節間ファゴットが落ちているのは編集ミスでしょうか。 第三楽章はかなり速いテンポ。 楽譜指定では「かなり遅く」となっている39小節めのオーボエ二重奏でもテンポは落ちません。 52小節目のティンパニのピアノでの一打ちも意味深く、63小節のa tempoではサスペンドシンバルの一発に続いて、冒頭回帰のティンパニが絶妙のタイミングで入ってきます。この部分などゾクッとするような妖しさです。 大きな起伏の第四楽章では、85小節のPesanteではワルターの解釈とは正反対に速めて、続く百雷同時に落ちたかのような巨大なフォルティシモも見事。 嵐から静かな部分への転換する、171小節の4つ振り指定のヴァイオリンの甘いレガート、238小節の凄味のあるpppも印象的。 388小節のホルン7本の強奏部分でテンポが突然大きく落ちていき、さらに低音弦楽器が同じ音型を繰り返しながら坂を上るようなクライマックスに向う箇所からは、第一楽章同様どんどんテンポが落ちていきます。 テンポは遅くなりつつも緊張感は次第に増大、音楽が巨大に膨れ上がっていくのがすさまじく、667小節の止まりそうなまでのタメのあと、さらに遅いテンポのまま突き進み、最後はブルックナーの交響曲第8番のフィナーレの終止のような、巨大な終わり方でした。 今回聴いたのはユニコーン原盤のトリオから出ていた国内盤LPです。 1969年のスタジオ録音としては音がこもり気味で良い音ではありません。 確か初出は70年代初めに流行していたCD−4方式の4チャンネル盤で、同時期に発売されたマーラーの交響曲第3番など、4チャンネルで再生すると少年合唱が後方から聞こえて面白い効果を上げていた記憶があります。 その後4チャンネル方式そのものが消滅し、再発売の際2チャンネルにトラックダウンした時に、音のバランスがおかしくなったのだと思います。 今やユニコーンレーベルそのものが消滅しているので、オリジナルのマスターテープがどうなってしまったのか判りませんが、今はもう聴く術もないCD−4の装置で聴いてみると、印象が変わるかもしれません。 (2014.09.02) |