「エフゲニー・ムラヴィンスキー(1903〜1988)」 ペテルブルク生まれの20世紀ロシア最大の指揮者。最初は自然科学を学び、パントマイムの役者も経験。その後24歳の時にニコライ・マルコとガウクに指揮を学び29歳で指揮デビュー。1938年、35歳にしてレニングラードフィルの首席指揮者となり、以後1988年の死までその地位にありました。 ムラヴィンスキーの音楽は、確固たる造型感覚に裏打ちされた引き締まった緊張感溢れる音楽造りに特徴があり、特に親交のあったショスタコーヴィチの作品やロシア音楽には、絶対的な強みを見せる一方、独墺系のブラームスやベートーヴェンにも素晴らしい演奏を聴かせました。 比較的レパートリーの広かったムラヴィンスキーですが、晩年は演奏する曲をしだいに限定していきました。その中でチャイコフスキーの交響曲第5番は、ムラヴィンスキーが最も多く演奏した曲といわれ、映像を含め非常に多くの演奏記録が残されています。 1940年代後半 レニングラードフィル スタジオ録音 1948年 モスクワ放送響 第3楽章のみ 1949年 国立ソビエト響 1956年 レニングラードフィル スタジオ録音 1960年 レニングラードフィル スタジオ録音 1961年 2月9日 レニングラードフィル 1961年5月29日 レニングラードフィル 1965年2月21日 レニングラードフィル 1972年1月30日 レニングラードフィル 1973年4月25日 レニングラードフィル 1973年4月25日 レニングラードフィル リハーサル 1973年4月29日 レニングラードフィル 1975年5月13日 レニングラードフィル 東京公演 1977年10月19日 レニングラードフィル 東京公演 1978年 6月12日 レニングラードフィル 1982年 レニングラードフィル リハーサル映像 1982年11月6日 レニングラードフィル レニングラード 1982年11月18日 レニングラードフィル 1983年 レニングラードフィル 1983年 3月19日 レニングラードフィル なんと20種!まだあるかもしれません。 とても全部は紹介しきれませんが、代表的な年代の演奏を抽出して紹介していきます。 ・ レニングラードフィルハーモニー管弦楽団 (1960年11月9−10日 ウィーン、ムジークフェラインザール スタジオ録音) この曲のスタンダードな演奏として君臨し続けている名演です。 1960年の秋、ムラヴィンスキーはレニングラードフィルを率いてイギリス、フランスをはじめとした7カ国を巡り34回の公演を持ちました。 この時、ドイツグラモフォン社は、ロンドンとウィーンでチャイコフスキーの後期の交響曲3曲の録音を行っています。 なお、1956年の欧州楽旅の際も、ドイツグラモフォンはムラヴィンスキーの指揮で第5番と第6番を録音しています(第4番はザンデルリンク)。このときはモノラル録音でした。 今でこそムラヴィンスキーの演奏は数多くのライヴが出ていますが、73年の初来日まではムラヴィンスキーは鉄のカーテンの向こうの巨匠として、謎の多いミステリアスな存在でした。特に紹介された録音が少ない中で、この60年録音の圧倒的なチャイコフスキー演奏の存在によって神格化された存在であったと記憶しています。 この演奏は、鉄の意志を持ったクールな音楽が隙のない一定の鼓動を保ちながら聴き手に迫ってきます。オケのうまさも恐怖感を感じさせるほど凄いものです。 ほの暗いクラリネットの響きから始まる第一楽章は、第一主題の冷徹な歩みとデリケートで繊細な第二楽章との対比が大きく、84小節の押し付けるようなフォルティシモも特徴的。199,201小節にクレシェンド付加、ほぼ一定のテンポ感が支配する中で、428小節のモルトトランクイロの大きなテンポの動きは例外的な存在です。続く八連符のフォルティシモに大きなクレシェンドをかけていきます。 第二楽章のホルンソロは太く甘い響きが印象的。142小節のアンダンテは他の指揮者の演奏に比べ非常に速く、その後加速しての153小節でのフォルティシモの爆発も凄まじいものです。176小節のクレシェンド指定はデクレシェンドとし、終結部分の181小節の4拍めで僅かにテンポを落としていました。 第三楽章も速いテンポ、96小節のフルートパートのスタカートとスラーの使い分けも見事。265小節の一瞬の間の取り方も名人芸。 第四楽章は、勝利の凱歌とは無縁の緻密にして冷酷で非情な恐怖心が支配する音楽になっていました。 冒頭はフォルテで開始、アレグロビヴァーチェの開始のティンパニのイッパツはなし。とにかく猛烈な速さでホルンの機関銃のようなタンギングには呆然。 338小節のオーボエの表情の深さと優しさは一抹の安息感を与えるものの、非情なまでの鋼のような音楽に再び戻ります。 第一楽章で同じフレーズの繰り返しの中で、493小節の一拍目に付けられた木管楽器の唯一のアクセントに続く、アクセント指示のない弦楽器の同じ旋律に微妙な違いをつけるところなど、楽譜の一音一音に至るまでの細心の配慮は凄いものです。 演奏にはロシア的な泥臭さはなく、冷酷なようでいて19世紀的なロマンティシズムと都会的な洗練さも感じさせていました。第一楽章の第二主題が再現する432小節や、第二楽章111小節からの甘い歌わせ方を聴くと、ムラヴィンスキーの本質はロマンティストであったようにも思えます。 なお、映像や他のステレオ録音を聴く限りでは、通常ムラヴィンスキーはコントラバスを向かって左側に、ヴァイオリンを両脇に配した対向配置を採用しています。 対向配置は今では珍しくありませんが70年代までの名指揮者で採用していたのは、ムラヴィンスキーとクーベリックぐらいだったと思います。 ところがこの録音は、コントラバスを右とし、ヴァイオリンを左にまとめた近代オーケストラ配置を取っています。録音技師の要請だったのしょうか。 今回は国内盤のLPと、比較的初期に出た国内盤CDを聴きました。ムラヴィンスキーの鋼鉄のような音楽はCDで、より顕著に聞き取れました。 (2011.03.01) |