「パウル・クレツキ(1900〜1973)」 ポーランドのルージ生まれ。ワルシャワ音楽院とベルリンアカデミーで作曲を学ぶかたわらヴァイオリンを学び15歳でポーランドのルージフィルハーモニの団員となる。 1923年ベルリンで自作を振り指揮者としてデビュー。 精力的にベルリンで指揮や作曲活動をおこなっていましたが、ユダヤ系のために1933年にベルリンを去り、ミラノで作曲の教鞭を取った後、1937年からロシアのハリコフフィルの音楽監督。1947年にスイスの市民権を得てからは作曲を止め本格的な指揮活動に入ります。 ダラス響(1958〜1962)、ベルン響(1964〜1966)、スイス・ロマンド管(1968〜1970)の音楽監督を歴任。 クレツキのシューマンには交響曲全集録音があります。 ・イスラエルフィルハーモニー管弦楽団 (1956年2月、3月 テル・アヴィブ スタジオ録音) シューマン没後100年の年の交響曲全集録音中の1枚。 おそらくシューマンの交響曲全集としては世界初の録音で、イスラエルフィルとしても最初期の商業録音となります。 クレツキとイスラエルフィルでは、同時期にマーラーの交響曲第1番と第9番、メンデルスゾーンの「スコットランド」の録音があります。 弦楽器が優秀なイスラエルフィルの特性を生かした、弦を前面に押し出しロマンティックに歌わせた演奏でした。 絹のような艶と色気のあるイスラエルフィルの弦楽器の音は全く独特なものです。 第一楽章では滑らかで美しい弦楽器群の響きと、擦り寄って来るような歌わせ方には爽やかな色気が漂います。甘くなりがちな部分はクレツキの厳格な指揮がピシリと締め付けていました。 緩急の差が大きく、遅めの第二楽章で95小節からのコーダでテンポをさりげなく落し音楽が深く沈潜していくところなど見事なものです。 第三楽章は速いテンポでサラリと清楚に仕上げますが、第四楽章は金管楽器群の弱体さが気になりました。こればかりはクレツキの厳しいトレーニングでもどうしようもなかったようです。フォルテは粘らずすっきり気味。 第五楽章は軽やかに開始。バスの合いの手が心地良く決まっています。73小節からのコントラバスのpをfとし、150小節から音の奔流も見事。 この楽章は燃焼度も高く、続くファンファーレも豪快に聴かせます。267小節からのファーストヴァイオリンはオクターヴ上げ、華やかに盛り上げていました。 各パーツをキチンと積み上げていきながら大きな音楽を作り上げていく、クレツキの職人技が光る演奏でした。 作曲家として作品もあるクレツキですが、この演奏は目立って手を加えているようなところはありませんでした。 オケの弦楽器の美しさは素晴らしいものですが、金管楽器はかなり聴き劣りがします。当時のイスラエルは優秀なトランペット奏者とトロンボーン奏者がヨーロッパに職を得てしまい、二流の奏者しか残っていなかったそうです。 今回聴いたのは、日本コロンビアから出ていた国内初出LPです。おそらく1956年後半頃の発売。この頃の国内盤LPは素材そのものが硬質でプレスもあまりよくありません。ノイズも多く固く聴き疲れする音 (2011.07.10) |