「ラインを聴く」16・・・ディーン・ディクソン
「ディーン・ディクソン(1915〜1976)」

ニューヨーク生まれ、ジュリアード音楽院でアルバート・ステッセルに指揮を学ぶ。
1931年に自らオーケストラと合唱団を組織、1941年にはニューヨークフィルとNBC交響楽団に客演。1950年から51年まで創立間もないイスラエルフィルの指揮台に立った後、スウェーデンのエーテボリ響(1953−60)、フランクフルト放送響(1961−1974)、シドニー響(1974−1976)の首席指揮者。

ディクソンは黒人指揮者として初めて国際的な名声を得た指揮者でした。
今では都響の指揮者だったデプリーストをはじめ黒人指揮者はさほど珍しくありませんが、ディクソンが指揮活動を始めた頃は人種差別による偏見が大きく、特にアメリカ国内での活動には大きな障壁があったようです。

ディクソンが人種差別に悩んでいた様子やその人柄については、フランクフルト放送響に客演したことがある岩城宏之の著書「棒ふりのカフェテラス」(文春文庫)に詳しく書かれています。
70年代初めにNHKFMで放送されたフランクフルト放送局提供のマーラーの交響曲第7番は、非常な名演奏だったそうです。(成澤玲子著「海外ライヴの贈り物」(共同通信社)による)

主な活動拠点はヨーロッパでしたが、晩年はニューヨークフィル、シカゴ響、フィラデルフィア管、サンフランシスコ響などのアメリカのメジャーオーケストラに客演しています。

ディクソンの録音は今ではほとんど目にすることはありません。国内盤ではLP時代にプラハ響を振ったブラームスのハンガリー舞曲集を見かけたくらいです。CDでは来日時にN響を振った協奏曲の伴奏録音があります。

・ウィーン国立歌劇場管弦楽団
(1950年代 ウィーン       スタジオ録音)
ウエストミンスターへのスタジオ録音、録音時期ははっきりしません。同じシューマンの交響曲第4番とのカップリング。ウエストミンスターのディクソンの録音では、他にヤニグロをソリストに迎えたドヴォルジャークのチェロ協奏曲の伴奏録音がありました。

衒いのない標準的な演奏。オケの統率力は確かで、マーラー版とは異なるシューマン独特の粗く古色蒼然たるオケの響きがしっかりと聞こえています。
ひたすら譜面に忠実でオーケストレーションには全く手を加えていませんでした。

ウィーンのオケ独特の柔らかく美しい響きが特徴的で、特にウィンナオーボエの独特の響きが印象に残ります。シューマン独特の素朴な響きは第二楽章に顕著。

第一楽章295小節目のコントラバスのさりげない強調と後半の盛り上げ方や、第二楽章33小節からの中間部で木管楽器を大きく歌わせながらの下で付ける弦楽器を微妙なテンポの揺れを聴くと、ディクソンが並みの指揮者でなかったことがわかります。
自由に遊ぶ第三楽章ではコントラバスを強調し確かな響き。

第四楽章はフィナーレへの序奏と考えているようです。深刻さは薄く57−58小節のファンファーレ風の箇所はブラスを抑え木管楽器を前面に浮き上がらせていました。
ただ、第五楽章の非常に速いテンポはこれまでの4つの楽章に比べて異質に感じました。
最後に盛り上げようとしたのでしょうか。展開部後半の150小節吹き上げる喜びの表現は見事。

個性に乏しい演奏ですが、きっちりとした誠実さには好感が持てました。

今回聴いたのは米ウエストミンスターのオリジナルLPです。録音はモノラル。
50年代としては標準的な音。

(2011.07.31)