「パウル・クレツキ(1900 - 1973)」 ポーランド中部ウッジ生まれ、ワルシャワ音楽院でヴァイオリンを学び1914年からウッジフィルのヴァイオリン奏者、その後ベルリン芸術アカデミーで作曲を学ぶ。1928年ベルリンフィルを振る。ナチス台頭と共にドイツを離れ1938年スイスに移住。 リヴァプールフィル、ダラス響、ベルン響の指揮者を経て、1967年からアンセルメの後任としてスイスロマンド管の音楽監督。チェコフィルを振ったベートーヴェン交響曲全集がCD復刻され、クレツキの再評価が急激に進んでいるようです。 ・ スイスロマンド管弦楽団 (1967年 ジュネーヴ ヴィクトリアホール スタジオ録音) DECCAへの録音でこの当時では珍しかったカットなしの全曲盤。クレツキには第3番の録音もあります。 速いテンポの甘さを抑えた硬派な演奏でした。短いストロークで引いては押し寄せるラフマニノフ特有の強弱の変化も実に見事に表現しています。 第1楽章主部でも粘らないサラリとした表情ですが、時として旋律を崩し気味の表情を見せ退廃的なムードも漂います。練習番号19の9小節めからのティンパニが実に正確。練習番号23のPiu mossoから加速。 第2楽章では練習番号32のあとのMeno mossoが早めに進め、Con moto前でのディミヌエンドで急ブレーキ。ただしトロンボーンに多少の破綻が感じられます。 第3楽章は中間部練習番号50からうねるような感情の高まり聴かせ、厳しい第4楽章は練習番号70の高揚感も見事、後半から猛烈に加速しpiu meno mossoはホルンを咆哮させながら強烈なクライマックスを築いていました。 カットを行わず整った様式感の中に曲をきちんと当て嵌め、ラフマニノフをベートーヴェンの交響曲のように禁欲的に料理した演奏でした。即興的なフラも所々で聴かれて生真面目一辺倒でもありません。第2楽章の中間部のメロディや第3楽章でも充分に歌わせていました。 常々アンサンブルの脆さを指摘されるスイスロマンド管ですが、この演奏は、ピシと統制のとれたクレツキの棒による硬い引き締まった響きが聴かれ、さほど技術的なアラは目立ちませんでした。ベースを強調した録音も演奏の見かけ上の安定感を増すのに貢献しています。 クレツキの練習は非常に厳しかったそうですが、この演奏を聴くとアンセルメが自分の後継者にクレツキを選んだ理由がわかるような気がします。 今回聴いたのはDECCAのステレオ・トレジャリーシリーズの英盤LPで、力強い芯のある再生音です。最近オーストラリアDECCAからCD化されました。 以下が演奏時間。( )はプレヴィンの1973年録音。 ・第1楽章:17'03" ( 18'59" ) ・第2楽章:9'07" (10'00") ・第3楽章:14'58" (15'37") ・第4楽章:13'00 (13'59") (2006.05.09) |