「幻想交響曲を聴く」38 ロシアの指揮者たち3・・・M.ヤンソンス

マリス・ヤンソンス(1943 - )
ラトヴィア生まれ、父は名指揮者アルヴィド・ヤンソンス。
レニングラード音楽院に学び、その後スワロフスキーとカラヤンに師事、1971年カラヤン指揮者コンクール第2位。1973年からレニングラードフィル(サンクトペテルブルクフィル)の副指揮者。ムラヴィンスキーの死後1994年のサンクトペテルブルクフィルの来日時、沼津でショスタコーヴィチの交響曲第5番を演奏しました。どうしてもムラヴィンスキーと比べられ損な役となってしまいましたが、スマートでピリッとした好演でした。

オスロフィルの首席指揮者時代に、このローカルな地方オケを世界的な水準に引き上げ、注目されました。その後、ピッツバーグ響音楽監督(1997 - 2003)、バイエルン放送響首席指揮者(2003 - )。2004年からロイヤル・コンセルトヘボウ管の首席指揮者も兼ね、この10月に来日します。
幻想交響曲は来日時にも演奏していて、以下の5つの録音があります。
・レニングラードフィル       1986年 ライヴ録音 未発売
・ロイヤル・コンセルトヘボウ管   1990年 ライヴ録音 未発売
・ロイヤル・コンセルトヘボウ管   1991年 スタジオ録音
・ウィーンフィル          1994年 ライヴ録音 未発売
・ベルリンフィル          2002年 ライヴ映像

・ロイヤル・コンセルトヘボウ管絃楽団
(1991年 7月 アムステルダム コンセルトヘボウ スタジオ録音)
ダイナミックレンジが大きくスピーディな演奏。第2楽章のちょっとしたくずしやトリルが可憐な花を見るような愛らしさを感じさせます。恋人の姿を遠くからみているような遠近感を感じさせる演奏。
攻撃的な第4楽章は、楽譜にないクレシェンドの波状攻撃がこれでもかと押し寄せます。
第1主題の歌わせ方は父と同じ。小太鼓に乗る終結部のファンファーレは2拍めを極端にふくらませています。
第5楽章、鐘は大きな部厚い鉄板を叩いているような太い音。悪魔の笑い声のトロンボーンはミュート着用。「怒りの日」のブラス群のコラールは、トロンボーンを抑えホルンを強調させ柔らかなコラールを再現。魔女のロンドのフーガでチェロの最初部分にスルポンティチェロ有り、後半では譜面にない大太鼓、ティンパニの極端なクレッシェンドが有り。父アルヴィドのような風格は感じませんが、柔らかでウォームなコンセルトヘボウの響きをうまく生かせたまとまりのある好演だと思います。


・レニングラードフィルハーモニー管絃楽団
(1989年10月25日  東京 オーチャードホール ライヴ映像)
来日公演でのエアチェック映像。この来日公演後、レニングラードはサンクトペテルブルグとなりレニングラードフィルとしては最後の来日となりました。

ムラヴィンスキー時代の対向配置をそのままで、コントラバスは舞台に向かって左側に並びチェロはその右隣に位置。表情豊かにオケを強引に引っ張っていくヤンソンスに対して、無表情のまま着実にお仕事をこなしているオケの面々が印象的。
まるで前年に亡くなったムラヴィンスキーの亡霊がいまだにオケを支配しているかのようです。

ヤンソンスの指揮は指揮棒を使わないスタイル、1986年の来日時では指揮棒を使っていたと思います。解釈はコンセルトヘボウ盤とほとんど変わりません、第4楽章第1主題の歌わせ方、最後のファンファーレのふくらましもそのまま。第5楽章スルポンティチェロ有り、演奏旅行のため「怒りの日」はチューブラベル使用、コルネットパートはトランペットで吹いていました。
ムラヴィンスキー時代の緻密なアンサンブルそのままに、熱気をはらみながら展開していく名演。


・ベルリンフィルハーモニー管絃楽団
(2001年 5月1日 イスタンブール イレーネ教会 ライヴ映像)
ベルリンフィル恒例のヨーロッパコンサートでのライヴ映像。BSで放送されたエアチェックですがDVDでも出ています。カメラワークの秀逸さと演奏の素晴らしさが一体になった名盤。

教会でのライヴにありがちな残響過多な演奏ではありません。団員の椅子に音を吸収させるためでしょうか、濃いブルーの布がかけられています。
狭い舞台と客席の間に左右に分かれたハープを配置、これが第2楽章で見事な掛け合いを披露、第3楽章で舞台裏のオーボエを客席背後のバルコニーから演奏させるなど、視覚効果をうまく取り入れた演奏です。ただしオケは通常配置。

第1楽章の最後のコラールや第3楽章で、教会の正面天井の十字架が大きくクローズアップされます。それはこの曲の宗教的な一面とベルリオーズの情熱の対比が、聖なるものと世俗的なものの対立を表現しているかのようです。

第3楽章終結部、イングリッシュホルンソロに応えるオーボエがもういなくなってしまったことを、カメラの目が、さきほどまでオーボエ奏者のいたバルコニーの場所をさまようことで表現します。
この部分のティンパニは単なる遠雷の描写でなく、あたかも「怒りの日」の予告を表すがごとく強烈なffで教会内に鳴り響きます。第4楽章第1主題半ばの譜面の指定にないティンパニのクレッシェンドも含めて、神の怒りの前触れを感じさせる部分があちらこちらで聴くことができます。

ヤンソンスの柔軟な指揮に応える団員の生き生きとした表情は、レニングラードフィルの硬い表情とは対照的。管楽器奏者のソロ、第4楽章出だしのティンパニ奏者の正確無比な6連符などの名人芸をカメラは的確に捉えています。

第4楽章冒頭ホルンはミュート使用、怒りの日の鐘は、人の背丈ほどもある巨大なものを使用。ヤンソンスの指揮も余裕と確信に満ちた風格のある素晴らしい名演。


(2004.09.29)