「レクイエムの歴史

今回は古今の作曲家のレクイエムについて。

典礼としての「レクイエム」は、1570年のトリエント公会議で典礼文がオーソライズされ、その後の長い歴史の中で、数多くの作曲家が典礼の音楽としての「レクイエム」を世に送り出しました。

その「レクイエム」も1962〜1965年の第2ヴァチカン公会議で廃止されます。

この第2ヴァチカン公会議では、死語となっていたラテン語ではなく自国語による典礼が推奨され、その結果ラテン語によるグレゴリオ聖歌は典礼に使われなくなりました。

さらにミサを従来の共同体意識を確認するための儀式に戻そうとすることも決定され、個人の罪の軽減を求める「レクイエム」はその主旨に反することとされ廃止されました。


以下主なレクイエムを作曲年別に並べてみました。

・グレゴリオ聖歌   
・ギヨーム・デュファイ(1474年没)  現存せず。
・オケゲム (1483頃)     ポリフォニーで作曲された現存する最古の「レクイエム」 

・トリエント公会議(1545年)

・ピエール・ド・ラ・リュー(1510頃) 
・ラッソ  (1580)  
・ビクトリア(1605)  
・シャルパンティエ (1690頃) 
・チマローザ(1787)  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・モーツァルト(1791)  
・ケルビーニ(1816)  
・ベルリオーズ(1837)  
・ドボルザ−ク(1890)  
・ヴェルディ (1874)  
・フォーレ (1888)  
・デュリュフレ(1947)  

・第2ヴァチカン公会議(1962―1965)・・・典礼としてのレクイエムの廃止

ブリテン (1962)  
ラター(1982)
ウェッバー(1985)  


古今の有名無名の作曲家が数多くの「レクイエム」を作曲していますが、この中では未完とはいえモーツァルトの存在がずいぶんと重いように思います。

演奏の頻度からすればフォーレ、ヴェルディがそれに次ぐといったところでしょうか。

この「レクイエム」の長い歴史を俯瞰すると、デュリュフレの「レクイエム」が第2ヴァチカン公会議以前の典礼の音楽としての「レクイエム」の中で、最後の重要な作品であることがわかります。

ローマカトリック教会とは異なる英国国教会下の作曲家、ブリテンの名作「戦争レクイエム」は、通常の典礼文に詩人オーウェンの詩を加えた特異な作品です。


第2ヴァチカン公会議以後、「レクイエム」の曲としての性格は大きく変わり、公会議以後に作曲された「レクイエム」は、典礼を意識せずに自由な発想による作品となります。

イギリスの作曲家ジョン・ラター、ミュージカル「オペラ座の怪人」「キャッツ」の作曲家ロイド=ウェッバーによる「レクイエム」、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」、三善晃の「レクイエム」などはその流れの作品だと思います。


なおプロテスタントであったバッハにレクイエムはありませんが、同じプロテスタントでもブラームスとシューマンにはレクイエムがあります。

ブラームスの「ドイツレクイエム」は ラテン語ではなく、マルティン・ルターが訳した聖書からブラームスが抜き出したテキストに基づくドイツ語による作品で、実際の典礼では使われない演奏会用の音楽になっています。
一方シューマンにはレクイエムと名のつく作品が3曲あります。

「ミニヨンのためのレクイエム 作品98b」は、ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」の中に登場する少女ミニョンの葬儀で歌われる詩に曲をつけたもの。
「古い詩とレクイエム作品90」は、古いカトリックの聖歌から取られた死者のためのミサ曲の詩(ドイツ語)の歌詞による歌曲。

そして「レクイエム作品」148は、
第1曲 Requiem aeternam
第2曲 Te decet hymnus
第3曲 Dies irae
第4曲 Liber scriptus
第5曲 Qui Mariam absolvisti
第6曲 Domine Jesu Christe
第7曲 Hostias et preces tibi
第8曲 Sanctus
第9曲 Benedictus-Agnus Dei
の9曲から成りますが、いわゆるカトリックの典礼とは異なる配置で、こちらも演奏会を前提として作曲された作品と言えます。

いずれもタイトルにレクイエムと付されているだけの実際の典礼とは無関係の曲です。


(2016.10.02)