新「第九を聴く」16・・・・日本の指揮者 橋本國彦
「橋本國彦(1904〜1949)」
東京生まれ。幼くして大阪に移り辻吉之助にヴァイオリンを習う。独学で作曲を始め山田耕筰に作品を送ったりしています。その後東京音楽学校(東京芸術大学)に進みヴァイオリンと指揮を学ぶ。卒業後は本格的に作曲を初め、歌曲から歌謡曲、管弦楽作品までさまざまなジャンルの作品を残しました。

1934年からは、文部省の命によりウィーンへ留学し、フルトヴェングラーやワルターの演奏の接し、帰途に立ち寄ったロサンゼルスでシェーンベルクに教えを受けています。
作曲の弟子としては矢代秋雄、芥川也寸志、團伊玖磨、黛敏郎らがいて、朝比奈隆もヴァイオリンの教えを受けています。

作曲科としての橋本作品で最も親しまれているのは「朝はどこから」でしょうか。
私には、家のご近所に住んでいた作家の西村滋さん原作のテレビドラマ「お菓子放浪記」で使われていた「お菓子と娘」の、昭和初期のモダンな雰囲気漂う曲が印象に残っています。

橋本國彦には日本ビクターの専属アーティストとして、伴奏録音や自作の録音が多量にありますが、尾崎喜八の日本語訳詞による第九の第四楽章のみの録音があります。

・ 東京交響楽団(現東京フィルハーモニー管弦楽団)
  国立音楽学校合唱団、玉川学園合唱団、
 S:香山淑子、A:四家文子、T:木下保、Bs:藤井典明
(1943年5月13日 東京 日本青年館 スタジオ録音)

日本ビクターが発売した日本初の第九の商業録音です。尾崎喜八による日本語訳詞が時代を感じさせます。
なお、この録音に先立つ一月に、山田和男指揮日本交響楽団が全曲録音(アルトとテノールは同じ)をおこなっていますが、当時ラジオ放送されたもののレコードで発売されることはありませんでした。(後に第四楽章のみLP化)

テノールの木下保は、1924年に東京音楽学校でおこなわれた日本人による第九の全曲初演に合唱団の一員として参加しています。

ほぼ一定の速いテンポで進めながら要所でアンサンブルをピシッと引き締めています。ウィーンでフルトヴェングラーやワルターの演奏に接した割には、トスカニーニにも似た
テンポの動きの少ない演奏でした。

冒頭のトランペットは木管楽器と重ね、Poco Adagioは遅めのテンポ。コントラバスはすっきりと行きますが103小節と111小節のクレシェンド指示をアクセント気味に強調。130小節あたりから僅かに加速。
歓喜の主題の第一ヴァイオリンが入る部分はヴィヴラートを大きくかけながら嫋々と歌います。203小節の直前のルフトパウゼはほとんど無し。

尾崎喜八の日本語訳詞は、最初の「フロイデ!」を「いざ!」で開始。続く日本語もさほど違和感はありませんでした。
単語の一音一音の発音を鮮明にするためでしょうか、合唱は短めのマルカート。自然とテンポは速くなっていきます。

中間部のテノールソロは日本語がかなり歌いにくそうで、途中から遅れ気味になっていました。中間部のAndante Maestosoでは、速いテンポによって緊張感の薄れを防いでいます。二重フーガのトランペットはトロンボーンと重ねていました。

1943年5月といえば、ガナルカナル島撤退、山本五十六元帥戦死の直後で、日本がそろそろ敗戦の道へ歩み始めた頃です。
国内では戦時気分が益々高揚、戦勝気分も未だ大勢を占めていたのでしょうか。行進曲を思わせるような、ある方向へ向かって一直線へ突き進む高揚感が感じられる演奏でした。

オーケストラは、テノールソロ後のオケのみの箇所の後半から多少走り気味になったり、金管楽器の響きも貧弱に聞こえますが、日本人による初演から僅か10年後の最初の第九録音とすれば立派なものです。

今回聴いたのは、ロームミュージックファンデーションが出した復刻CDです。
同時代のアメリカやヨーロッパのスタジオ録音と比べて貧弱な音で、オーケストラ部分は状態の悪いフルトヴェングラーの放送録音のような音です。
ソロの4人は比較的はっきり収録されていました。
(2009.12.20)