新「第九を聴く」18・・・独墺系の指揮者たち ハインツ・レーグナー
ハインツ・レーグナー(1929−2001)
ライプツィヒに生まれ、ライプツィヒ音楽大学でピアノとヴァイオリンを学ぶ。
ワイマール国立歌劇場の指揮者を経て、ライプツィヒ放送交響楽団の首席指揮者、ベルリン国立歌劇場の常任指揮者を歴任、1973年にはベルリン放送交響楽団の首席指揮者。
1983年から1992年まで読売日本交響楽団の常任指揮者。

レーグナーはレパートリーが非常に広くてかなりまとまった数の録音があります。

独特の速めのテンポ感の中にドイツ物ばかりでなく、フランス音楽やロシア音楽にも説得力のある演奏を聴かせました。
読響との間にもベートーヴェンは交響曲全曲の録音があります。

読響との演奏ではTV放送されたサン・サーンスの交響曲第3番の白熱の名演が非常に印象に残っています。


・ベルリン放送交響楽団, ベルリン放送合唱団

ペトラ・ランペ(S)
ブリッタ・シュヴァルツ(A)
エドヴァルト・ランダル,(t)
ヘルマン・クリスティアン・ポルスター(br)

(1991年12月17日 サントリーホール  ライヴ映像)

ハインツ・レーグナーが旧東ドイツのベルリン放送交響楽団と合唱団を引き連れての来日公演でのライヴ。レーザーディスクです。
この来日直前にベルリンの壁が崩壊。

ベルリン放送交響楽団は1923年創設、ザイドラー・ウィンクラーやヨッフムが首席指揮者を務めた後、第二次世界大戦中一時期活動を停止。
1945年からチェリビダッケを首席指揮者に迎えて旧東ベルリン地区で活動を再開、以後アーベントロート、クライネルトの時代を経て1973年から1992年までレーグナーが首席指揮者。

1946年に西ベルリンのアメリカ軍占領地区のオーケストラとして設立されたRIAS交響楽団(後にベルリン放送交響楽団、現在ベルリン・ドイツ交響楽団)とは別団体。



この時の来日公演の模様は、この「第九」とは別にズスケをソリストに迎えたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲とブラームスの交響曲第2番も映像収録され、徳間音工からレーザーディスクとして発売されました。

私はこの映像とは別の日の三島公演を聴くことができました。

実演では質実剛健でありながらスピーディーな演奏であったと記憶しています。

終楽章では特にバリトンのポルスターの存在感が他を圧倒していて、終楽章の「フロイデ!」の第一声には強く引きつけられました。

母国語なので当たり前ですが、合唱団のドイツ語の自然な発声と引き締まった響きに、
聴いていてシラーの詩がより深い意味合いを持っているような気がして深く感動したのを覚えています。

このディスクを見ても30年ほどの前の記憶とほとんど違っていません。

サントリーホールよりもキャパの少ない三島市民文化会館のステージでは、合唱団がいっぱいに広がっていたイメージでしたが、映像を見て意外と少人数だったことに気が付きました。

速いテンポの中でところどころで内声部の管楽器を強調。


実演では終楽章の二重フーガ終盤でホルンのファンファーレが劉亮と会場いっぱいに鳴り響いていたのを今でも熱く思い出します。

画面を見ながら聴くとかなり管楽器を弦楽器と重ねているようです。
第2楽章終わり近くにホルンを弦楽器に重ねる改編はアーベントロートと同じでした。

おそらくアーベントロート時代の譜面を使用しているのでないかと思います。

バリトンのポルスターは記憶通りの素晴らしい歌。

オケは決してスーパーオケではありませんが、渋く柔らかなオケの響きに、ドイツ音楽の本流を聴いたという印象です。

合唱のメンバーは普通のおじちゃん、おばちゃんたちの集まりという風情で、地味にしっかり生きているドイツの国民性のようなものも伝わって来ます。

レーグナーの指揮は冷静ですが響いてくる音楽は熱く燃えています。
聴き手に深い感銘を与える演奏です。


(2020.11.15)