第21回定演のメインはブラームスの交響曲第3番となりました。 これからこの曲のさまざまな演奏を紹介していきます。 交響曲第3番はすべての楽章がpで終わることもあり、コンサートでメインとなりにくく、実際ブラームスの4曲の交響曲中、最も録音が少ない曲だと思いますが、それでも100種は超えると思います。 現在手持ちの録音は90種、この中から定演までにできるだけ紹介していきたいと思います。 第一回はブラームスの自作自演にまつわるエピソードを紹介します。 エジソンによる蓄音器の発明は1877年(実際にはエジソンの発明の数ヶ月前に現在ACCディスク大賞として名を残しているフランス人シャルル・クロが蓄音機の原理を論文化し、エジソンに実用化を依頼)。 この画期的な発明によっていくつかの歴史的な記録が残されることとなりました。 ブラームス自身の録音もそのひとつで、ウィーンで蓄音器の実演を始めて耳にしたブラームスは、シューマン夫人のクララ宛にその発明の先進性を手紙に書いているほどです。 ブラームスの演奏が録音されたのは1889年12月2日、場所はブラームスの友人であるシーメンス社オーストリア総支配人リヒャルト・フェリンガーのウィーンの自宅。 曲はハンガリー舞曲第1番の後半部分とヨゼフ・シュトラウスのポルカ・マズルカ「とんぼ」の2曲でした。 この録音に立ち会ったフェリンガーの手記によると、この日のブラームスは異常な興奮状態で、当初ラプソディ第2番を録音するつもりでやってきたのに、録音の準備の最中に冗談を連発していたブラームスが突然ハンガリー舞曲を弾き始めたのだそうです。 結局録音の準備が整わないままに演奏が始まったために、ハンガリー舞曲の初めの部分が欠落することになりました。 当時は円盤のレコード盤が発明される以前のことで、エジソンが発明した茶筒のような蝋管レコードです。円盤状のレコードがプレスによって大量の複製が容易なのに比べ、筒状の蝋管は複製に向かず、初期の蝋管の多くは直接録音されたオリジナルの一つしか存在しません。 実際失われたものも多く、ハンス・フォン・ビューローの「英雄」がライヴ録音されたとされていますが、今に至るも発見されていません。 このブラームス自身の演奏を記録した貴重な蝋管も、ただひとつ現在ベルリン国立図書館に保管されているオリジナルのみですが、残念なことに風化が激しく、ひびも入り、通常の形では再生することができません。 ブラームス没後100年の1997年に、北海道大学の研究チームがレーザービームによる読み取り装置を使って再生を試みましたが、残念ながら風化による磨耗のため完全な形では再生できませんでした。 幸いなことに、まだ再生可能であった1935年にこの蝋管の再生を試みた複製ディスクが残されており、これにより盛大な雑音の中からブラームス自身の演奏の概要をかろうじて知ることができます。 このディスクは、「ブラームス博士による演奏!」と誰かが叫ぶ声に続くハンガリー舞曲第1番の途中から記録されていますが、続くポルカ「とんぼ」は1935年当時すでに再生不能の状態となっていたようで、こちらは収録されていません。 名ピアニストとして鳴らし、リストとならび称せられたブラームスですが、この演奏はテンポのゆれが極端で、まるでよっぱらいが演奏しているかのようでした。 ブラームスの友人で、数々のヴァイオリン協奏曲の初演者として著名な大ヴァイオリニストのヨアヒムが残した比較的良好な状態のハンガリー舞曲の演奏が残されていますが、こちらもポルタメントたっぷりの大揺れの演奏でした。案外この演奏スタイルが当時の一般的なものだったのかもしれません。 *このブラームスの演奏はこちら↓で実際に聞くことができます。 http://www.measure.demon.co.uk/sounds/Brahms.html 演奏の前の声はブラームス自身の声だとも言われています。(私は違うと思いますが) (2005.01.03) |