「ブラームスの3番を聴く」60・・・・独墺系の指揮者た12 ヴァント
「ギュンター・ヴァント(1912 - 2002)」

ホルスト・シュタインと同じウッパタール生まれ、父は農業機器販売の裕福な商人でした。
ケルン大学で哲学、ケルン音楽大学で指揮と作曲を学ぶ。この時アーベントロートの教えも受けています。ウッパタール歌劇場でキャリアを開始、1939年ケルン歌劇場の指揮者となり、1946年ケルン市の音楽総監督となり歌劇場とギュルツニッヒ管を指揮。
1982年から北ドイツ放送響の首席指揮者(後に終身名誉指揮者)

ヴァントの行動範囲は、ある時期まで、ほぼケルン市に限定されています。たぶん長命でなければ、ドイツのローカルな指揮者という程度で終わっていたかもしれません。
(その点ウィスバーデンにいたシューリヒトに似ています)
それが1989年にシカゴ響を振ってアメリカデビューを飾った頃から人気急上昇、
カラヤンやバーンスタイン、チェリビダッケなどの大指揮者たちがばたばたと逝ってしまったこともあり、最後の巨匠と祭り上げられ、晩年の人気はすさまじいものがありました。

長谷恭男著「素顔のマエストロたち」には、ヴァントの音楽に対する頑なまでのこだわりが活写されています。
ヴァントは、ケルン、ハンブルク、BBC、などの放送オケと関係が深い指揮者でしたので、膨大な量の放送用の録音や映像が各放送局に残されています。(日本でもN響を振っています。)

しかし商業用録音は僅かの例外を除いて、ケルン・ギュルツニヒ管、ケルン放送響、北ドイツ放送響、そして晩年客演するようになったベルリンフィルの4つのオーケストラに限定されています。

そのうちブラームスの第3番の正規に発売されている録音は、以下の3つになります。

・1960年  ケルン市立ギュルツニヒ管 スタジオ録音
・1983年  北ドイツ放送響      スタジオ録音
・1995年  北ドイツ放送響      ライヴ録音

いずれ正規なレーベルによる全集録音で、現在全てCD化されています。
単独ではシカゴ響との第1番がライヴCDで、1981年のシュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭における第4番のライヴ映像がLDで出ていました。
特にLDは日本でのみ発売された貴重なものです。(沼津市立図書館で視聴可能)

・北ドイツ放送交響楽団
(1983年9月16、21日 フリードリヒエバーハレ スタジオ録音)

ドイツ・ハルモニアムンディとEMIとの協同制作による全集録音中の1枚。
現在はBMGから出ています。今回は90年ころに出た国内盤CDを聴きました。 

ひとつひとつのパーツが計算され尽くされた隙のない演奏。理詰めでがっしりと構築された石造りのブラームス。相当細かな所まで練習を積み重ねたことが如実にわかる演奏です。

第1楽章は、快適なテンポでひたすら進む演奏で、4分の9拍子の木管の自由さが印象に残ります。リピート有り。
第2,3楽章も速い流れ、第4楽章も第2主題での弦楽器の三連符も明快、各楽器が小気味良く鳴っています。オケの響きもドイツ風の低音がっちりで、一般的なブラームスのイメージそのもの。終結部の改変有り。

難しい講義を聞いていている最中、難解な部分を自分で反芻しているうちにもう先に進んでしまっている、というような演奏でした。
鳴っている音楽が聴き手に緊張感を強いるものなので、ちょっと気を緩めると演奏そのものが、どんどん先に行ってしまいました。もう少し遊びが欲しいと思います。

・北ドイツ放送交響楽団
(1995年4月9、11日 ハンブルク・ムジークハレ ライヴ録音)

北ドイツ放送とBMGとの協同制作による全集中の1枚。旧盤に比べて音楽が丸くなり、楽譜の理解も究極まで進んだ印象です。プロフェッサータイプのヴァントの偉大な職人芸の光る演奏。

第1楽章第一主題は最後の部分で大きなルバート。表情豊かでやさしく、各フレーズの末尾でテンポをわずかに落とします。リピート有り、136小節エスプレッシヴォ指定は実に繊細。183小節のティンパニの強打が強烈なインパクトを与えます。

第2、3楽章は感傷を排したあっさり型。第4楽章の遅く不気味な冒頭、84小節目で2番ホルンの強奏、終結部の改変あり、最後のティンパニの16分音符も正確無比。

ここまで精密に、楽譜が音に変換されていることに驚きを覚えます。純化されたオケの響きと峻厳そのものの厳しい音楽を聴くことができます。
この点のアプローチはセルの演奏に近いものがありますが、セルの方がより柔軟で、しなやかさがありました。

録音は北ドイツ放送局収録のもの。CD化を前提として採られた録音なので、それなりに良いですが、私にはもう少し細部の明瞭さが必要だと思います。
旧盤のすっきりした録音の方が、よりドイツ的な頑固さと重厚さが感じられ、ヴァントの芸風にふさわしいと思いました。
(2005.06.04)